見据えるのはロサンゼルスの2連覇。ゴールボール男子日本代表は負けからスタート
パリ2024パラリンピックで金メダルを獲得したゴールボール男子日本代表。ロサンゼルスへのスタートとなる「2024ジャパンパラゴールボール競技大会」で若い選手たちが躍動した。
大会は、11月22日と23日の2日間、所沢市民体育館で開催された。男子日本代表はAとBの2チームに分かれ、オーストラリア、ポーランドを含む4チームによる総当たり戦が行われた。1日目は、“金メダルのキャプテン”金子和也を体調不良で欠きながらも<日本A>が全勝、同じく金メダルの立役者である強力な攻撃陣・佐野優人と宮食行次を擁す<日本B>が2勝1敗。日本チームがこのまま決勝に駒を進めると思われたが……。
翌日の準決勝は<日本A>がオーストラリアに、<日本B>がポーランドにそれぞれ敗れ、日本勢は3位決定戦で顔を合わせることになった。
2つに分かれた日本チームは決勝に進出できず
日本対決で先制したのは<日本B>。パリで日本代表最年少だったライトの鳥居陽生(2004年生まれ)は、低く速いボールで序盤に2得点を挙げた。
パリの地で「自分が若手を引っ張る」と語っていた鳥居は、今大会直前に体調を崩して本調子ではなかったものの、「移動攻撃が得意だが、テンポがうまく合わなかったりして、合宿で取り組むところを見つけられた」と収穫と課題を得た様子。ロサンゼルスに向けては「1日1日をどう過ごすか、もう一度詰めていきたい」と気を引き締めた。
しかし、試合は<日本A>が逆転勝利を収めた。<日本B>から3得点を奪った<日本A>のレフト・永野陽希(2003年生まれ)は、今後が期待されるウイングの筆頭だ。
今大会が国際大会初出場。同じポジションであり、日本代表の軸である金子がコートに立てない状況を、自分がアピールをする最大のチャンスとポジティブに捉えていた。
「『チャンス、来たな』と思いました」 と永野。
大会を通して安定感に欠けたものの、3位決定戦では高い修正能力で存在感を示し、エース候補に名乗りを上げた。
そんな永野は、パリパラリンピックではNHK中継解説を務めており、ロサンゼルスでは選手としてコートに立ちたい気持ちを強くしたという。
「金メダルの試合は、感動しながら(映像を)見つつ、『次は自分の番だな』と思った。レフトの金子選手、宮食選手には、『次は、(金子選手か宮食選手が)解説だぞ』と何度も言っていて。解説なのかメンバー入りなのか……次の戦いは始まっている」
永野は充実した表情で語った。
守備の要であるセンターにも若手がいる。今大会では、<日本A>の山本秀幸(2006年生まれ)、<日本B>の行弘敬祐(1999年生まれ)が国際大会デビューを果たした。
4ヵ国中4位だった<日本B>のなかでも、試合後、最も悔しそうな表情を見せていた行弘は、「自分の弱さを痛感した」と振り返りつつ、「日本(の大会)では味わうことができない、海外のとてつもない速いボールや、すごく手前から打ってくる速いボールにも対応できた」と瞳の奥を輝かせて語った。
パリで指揮官を務めた工藤力也ヘッドコーチは、ロサンゼルスで男子日本代表が活躍するカギは若手の成長だと力を込める。
「パリでメダルを獲った6人を強化し続ければ、連覇できるかといえばそうではない。6人が世界のトッププレーヤーとして代表を引っ張り、そこを追い越すような選手が出なければ2連覇はない。若手には世界での経験を積ませていきたいです」
金メダルを見て決意したベテランも
そして、<日本B>には、今年度で代表活動から退く選手がいたことを記しておきたい。
男子日本代表が自力でパラリンピックに出場できなかった、長く苦しい時代を支えてきた元キャプテンの信澤用秀(1986年生まれ)は、今大会が事実上最後の日本代表になった。
「金メダルチームに恥じないプレーを」と準備して臨んだ最後の国際大会。ゴールは遠く、「結果は理想通りにはならなかった」と悔しさをにじませる。それでも「これからの選手たちが(パリ後、)最初の国際大会で『勝ち続ける難しさ』を感じ、ロサンゼルスに向けてスタートできたのは大きい。(最終的にメンバーに選ばれなかった)自分自身は、パリの金メダルを見て悔しさや闘争心よりも『強いチームだな』『本当によかったな』という感想しか湧かなかった。だから、代表としてはもう続けられない」と語り、静かにコートを後にした。
text by Asuka Senaga
photo by X-1