木村敬一らパリパラリンピック日本代表9人が母校で伝えたメッセージ
今夏、開催されたパリ2024パラリンピックに13人の日本代表を送り出した筑波大学付属視覚特別支援学校。これまで夏季パラリンピック12大会に選手を送り出している“名門”だ。12月3日、同校を卒業した木村敬一ら9人のパラリンピアンが東京都文京区の目白台にある母校を訪れ、報告会を行った。
<ゴールボール女子日本代表 天摩由貴>
「ゴールボールは男子代表がパリで金メダルを獲得した。いつも練習している選手が金メダルを獲って嬉しい気持ちもあるが、悔しさもある。一緒に金メダルの報告をしたかった。
東京パラリンピックからの3年間は(ケガの連続で)順調ではなかった。思うような攻撃ができなくなり、だんだん自分のディフェンスにも自信がなくなっていった。大きな大会で、得意だったはずのディフェンスでミスをし、本当に自信がなくなってしまった。それでも、金メダルの目標や負けず嫌いなところは変わらなかったから頑張ることができた。
(生徒から事前に質問があった)モチベーションの上げ方について、高い日もあれば低い日もある。それは悪いことではなくて、当たり前のこと。モチベーションが低いときでも、目標がブレなければ問題ないと思うし、大事な大会やパフォーマンスを発揮しないといけないところに心と体のコンディションを合わせられればいいと思う」
<ゴールボール女子日本代表 安室早姫>
「初めてパラリンピックに出場し、満員の観客に応援してもらえて本当に楽しかった。
(皆さんへ)早いうちからいろんなことにチャレンジしてみて。自分の興味があることだけではなくて、苦手なことにも早いうちに挑戦をしていろいろな経験を積むと、後々、絶対に自分の力になるので。私が大事にしていることは、道は必ず自分で決めるということ。どの道に進むか、どんな選択をするか。悩むこともあると思う。周りにいろいろと相談したり、アドバイスを求めたりもするが、最終的に、やるか、やらないかを決めるのは自分。それを忘れないように意識している。
私は、支えてもらっている方々に恩返しをしたい気持ちで続けてきて、パラリンピック出場を達成することができた。自分が進むべき道は自分で決めることが大切だと思う」
<ゴールボール女子日本代表 萩原紀佳>
「こちらには小学4年生から6年生までの3年間通った。中学生くらいまでは、見えないこと、友だちと見え方が違うことが本当に嫌だった。親に『なんで私だけ目が悪いの?』『こんな目で生まれたくなかった』とひどいことを言ってしまったこともあった。
メダルを目指して競技生活を送っているなか、母から『衝撃で失明しちゃうかもしれない。他の競技もあるんじゃない?』と言われ、『応援してくれないの?』と思うこともあった。
一度落選した東京パラリンピックの代表に選ばれ、夢の舞台で銅メダルを獲得。これまでひどいことを言ってしまった母に『赤ちゃんの頃から、私の病気と闘ってくれたことに感謝しています。ありがとう』と号泣しながら伝えた。
パリではメダルにも届かず、自分の失点でチームは負けた。本当に絶望したが、日本に帰国したら、家族、友人、それに面識のない方からもSNSなどで『おかえり』『よく頑張ったね』『6位でもすごいよ』『かっこいいよ』と声をかけてくれて救われた」
<ゴールボール女子日本代表 高橋利恵子>
「ゴールボールを始めたきっかけは、まさにこの体育館。高等部にゴールボールの部活はなく、夜、ここで練習しているOBOGのチームがあり、誘ってもらって始めた。
大学受験のため、一旦ゴールボールから離れたが、無事、筑波大学に合格し、大学のそばにある筑波技術大学でゴールボールのサークルがあって、また先輩に誘ってもらって。
その後、代表になり、がむしゃらに頑張ってきた。東京パラリンピックを経て、パリパラリンピックでは6位。本当に悔しかったし、メダルを獲れなかった悔しさは今もあるが、これからまた4年後のロスに向けて強くなっていきたい。ロスに向けては、切符を獲るのも大変。アジアで勝ったり、世界で勝ったりしないと立てる舞台ではないが、パリの悔しい気持ちをバネにし、チーム一丸となって、4年後もっと多くの人にゴールボールのことを知ってもらいたい。
たくさんの人に応援してもらえる状態でロスに出場し、今度こそ自分たちの夢を叶えたい」
<トライアスロン日本代表 米岡聡>
「高等部に在学していたが、大学に入ってから、教育実習でこの学校に来ていた。木村選手、天摩選手のクラスを受け持った。とても元気のいい生徒たちだった。当時、僕はスポーツをやっていなかったので、まさかこの舞台で再開するとは夢にも思っていなかった。びっくりすると共に感慨深い。
トライアスロンでパラリンピックに2大会出場して感じたことは、大きな目標にチャレンジするのは楽しいことだなということ。やり遂げられた自分が誇らしく、自己肯定感を持てるのが醍醐味。
大きな目標を見据えて、どういうふうにしたら届くか、どういうふうに組み立てれば辿り着くかを考えた上で、粛々と取り組んで結実したときは何にも変えがたい達成感がある。
東京パラリンピックでゴールテープを切ったとき、普段、感情が薄いのだが、自分の中に嬉しいと思う感情があると発見したというくらい。パリではメダルを持って来られなかったが、ステップアップできたと感じている。人生の財産になった。
目標に向かって本気でチャレンジすると、何にも変えがたい達成感が味わえる。みなさんの夢を応援しています」
<ブラインドフットボール男子日本代表 鳥居健人>
「ブラインドサッカー(ブラインドフットボール)の結果は、出場8チーム中最下位。日本は4試合全敗。1点も取れず、本当に何もできなかった。つまり最悪の結果で、これを発表している今もすごく悔しいし、大会が終わったときは、悔しさを通り越して僕自身はもう無になった。
パリに向けてほぼ毎日練習し、プライベートや金銭、食べたいラーメンを我慢したり……多くのものを犠牲にしてきた。
本当にどん底の状態だったけが、日本に帰ってくると、応援してくれた人たち、支えてくれている人たちが笑顔で迎えてくれた。
メダルを獲るために試合をし、そのための努力をしてきたので、本当に悔しかったが、今はすごく前向きな気持ち。こうして皆さんの前で感謝を伝えたり、話をすることができたりするのは、パラリンピアンとして誇り。
皆さんもいろんなことに挑戦してほしいし、いろんな人に支えられて、いろんな人に応援してもらっていることを忘れずにやってほしい。目標設定するときに、それやることによって何が得られるかということを意識してやってもらいたい」
<ブラインドフットボール男子日本代表 永盛楓人>
「私はブラインドサッカーが好きで、ここでできると小学校の担任の先生に聞いて、この学校に入学した。中学校時代はブラインドサッカーチームがなく、放課後、友だちと遊んで楽しんでいた。高校1年生とき、ここの卒業生らが集まってできているクラブチームfree bird mejirodaiに誘ってもらいブラインドサッカーを始めた。大学になっても続けてその後2022年2月強化指定選手に選んでもらった。
パリは1万3000人の観客が入る会場で試合をした。歓声をいただけたのは光栄で、今でも鮮明に覚えている。試合は1勝もできず、非常に悔しい結果だった。帰ってきてから、パリでできなかったことを整理していたので、そこに目を向けながら、ロスで代表に選んでいただけるよう、これからも取り組んでいく」
<ブラインドフットボール男子日本代表 園部優月>
「高校のときは寄宿舎で3食が用意される環境だったが、大学に入ってからは一人暮らし。ご飯も自分で作ったり……パリが終わって、今は大量の課題や授業に追われている。
東京パラリンピックとパリパラリンピックは全く違う大会だった。
高校生のときに出場した、東京パラリンピック。当時、チームは選手村に入らず、いつも合宿をしているホテルに泊まり、バスで練習や試合に行った。食事は日本食。いつも通りにリラックスできていた。
今回は早くから現地に入って試合に臨む形。選手村の共同生活、バイキング形式の食事……東京大会とは違う感じだった。YouTubeとか音楽を聴いてリラックスするようにはしていたものの、実質1ヵ月の海外生活は、肉体的な大変さよりも、精神面でのトレーニングが全然できていないと感じた。メダリストは、どんな環境でも、自分を持ち続けて、メンタル面でもリラックスし、コンディション万全で臨んでいるのだなと強く感じた」
<水泳日本代表 木村敬一>
「パラリンピックは5回目、緊張しないかと思ったが、びっくりするほど緊張した。
プールの更衣室で着替えるのが面倒で、選手村で水着を履いて会場に行くのだが、そうすると、試合後に着替えるパンツを忘れることがよくある。あるとき、会場に向かうバスに乗ってからリュックを確認したところ、パンツがない。これは仮にメダルをもらえてもパンツを履かずに表彰式に出るしかないと思った。そして、会場に着き、準備運動をしようと思っていざジャージを脱いだら、緊張しすぎて水着の上からパンツを履いていたことに気づいた。
パラリンピックは、何回出ても緊張しすぎる、特別な舞台だった。
今回、改めて水泳を上手に泳ぐ練習をしてみて、まだまだ知らないことがたくさんあるんだなと感じた。目が見えないと、『やったことがない限り、知っているって言えない』と思って、いろいろやってみることをおすすめしたい。
この学校はいろいろやらせてもらえるチャンスがすごく転がっている。どうやったらできるようになるかを一緒に考えてくれる先生たちや素晴らしい先輩方がいる。僕は、この学校を卒業できて本当によかったと思っている。
変な話かもしれないが、僕たちの家族は、『目が見えないから、(あなたが目指しているほどは)できないんじゃない?』と言ってくることも結構ある。
家族だから無理をさせない。『そのへんにしといたら?』と言ってくることもある。でも、皆さんは、家族が思っているよりやれることはたくさんあると思うし、それをやらせてくれるのがこの学校だと思う。皆さんも先輩や先生の力を存分に借りて、自分がやりたいと思っているものに向かって思い切り挑戦してほしい」
text by Asuka Senaga
photo by Hiroaki Yoda