Jリーグでプロになれるユースは8%? サッカー以外の道も想定した地方クラブ・松本山雅のアカデミー育成方針
英サッカープレミアリーグの強豪・リバプールFCのDFトレント・アレクサンダー・アーノルド選手が、プロ選手になれなかったアカデミー生に対する支援事業を始めたという。夢に向かって多くの時間を費やすアカデミー生たちだが、現実は厳しい。日本も例外ではなく、プロへの入り口には8%と言われる狭き門が待ち構えている。J3の松本山雅FCは2019年から中学生の年代にあたるアカデミー生に対して学習支援を実施。サッカー以外の選択肢を持つことで、子どもたちの将来の可能性を広げたい考えだ。
アカデミーに入った選手が人生の方向性を決める時期に関わるサッカークラブ。地方で顕著に減少する若年人口の一部でもある彼らの人生設計にどう向き合うのか。目指している育成の軸について、同クラブの元選手・鐡戸裕史育成部長と西野貴博アカデミーサブダイレクターにお話を伺った。
練習前の1時間を学習に
目前に山が迫る長野県松本市の温泉街の近くに、J3松本山雅FCが利用する練習場がある。
グラウンドから見える田んぼの稲も刈られた10月の夕方、練習前の13~15歳のユース生たちが隣接する建物の会議室に集まった。行われているのはサッカーに関するミーティングではなく、勉強。ピッチと変わらない真剣な表情で筆記具を握りながらホワイトボードを見つめていた。
教鞭を取るのは、地元の私立高校の元教師や現役教師。毎週水曜日と金曜日の練習時間前の1時間、英語と数学の授業を行っている。
中学校の年代にあたるU‐15ユースアカデミーの選手たちを対象にしたもので、希望者が参加しているという。
「理想は全員に参加してもらえることですが、会場の規模や送迎してくださる親御さんが対応できるかといった問題があり、現状は全員に利用してもらえていないです」(鐡戸氏)
それでも約60人いるU‐15ユースアカデミーの選手のうち、4分の1が参加している。
1回60分で、参加費はたった500円。「塾に行くのにもお金がかかるからクラブで安く教えてくれるのはありがたい」「勉強できる環境作りをしてもらえるのは助かる」。多くの保護者から感謝の声が寄せられているという。
西野氏は「プロジェクトが始まったきっかけはアカデミー生の学力向上でした。サッカーができるだけでは入学できる高校が限られてしまうことがあります。少しでも選手の選択肢を広げてあげるためにもクラブとしてできるサポートの幅を広げることになりました」と振り返る。
ただ、鐵戸氏も西野氏も「理想は全員がプロになること」と強調する。強さを求めるクラブが、一見矛盾するアカデミー生の勉強に時間を割く理由の背景にあるのが、プロになる高いハードルだ。
全クラブのユースからプロになれるのは8%
「本当に狭き門で、全クラブのユース生のうちプロになれるのは8%くらいです」(鐡戸氏)
厳しい状況は松本山雅も同様だ。アカデミーユースは、小学生が所属する「U‐12」、中学生が所属する「U‐15」、そして高校生の年代にあたる「U‐18」に分かれる。それぞれの年代ごとにも昇格できるかどうかの選抜がある上、最終的にU‐18からトップチームに昇格できる人は「各年代に1人か2人」という現状が待っている。
「U‐18からトップチームに上がった選手は、アカデミー創設以降4人です。U‐18を出たのちに大学に入り、卒業後に再び山雅に戻ってプロになった選手を含めても7人です」(鐡戸氏)
選手もその保護者も厳しい世界であるということを「覚悟して」入り、夢に向かって時間をかけている。
練習時間は平日夜に2時間。松本山雅の場合は、周辺の安曇野市のほか、40㎞ほど離れた諏訪市や上田市などからもアカデミー生が集まってきている。
西野氏は「ご家族の送迎に支えられてアカデミーは練習ができています。遠いところからだと片道1時間ほどかかるので、親御さんが一度帰ることができずにピッチ脇で練習する姿を見守られていることもあります」と話す。
週末にはカテゴリーごとに所属するリーグの試合に出場。北信越リーグの場合は、新潟県や富山県、福井県にも赴く。県内リーグでも、面積が広い長野の広域で試合が行われる。
こうした試合や日々の練習を通し、どの選手が次のカテゴリーに進めるかを判断していく。
「活動時のパフォーマンス、プレーだけではなく、メンタリティなども含めた総合的なジャッジをします。思春期でただでさえ悩みも多い彼らです。その上で昇格に直結する試合に出られる、出られないといった目に見える差も出てきますから、サッカーのことで気をもんでいることは伝わってきます」(西野氏)
昇格可否の告知が遅くなることで進路に影響を与えることを防ぐため、夏ごろまで成長度合いを見極め、順次選手たちに伝えていくという。
西野氏は「個室でお伝えするのですが、昇格が叶わず、その場で泣き崩れる選手や親御さんもいます。思いは伝わりますが、結果は変わらないので本当につらい瞬間です。サッカーを続けるためにどこの高校に行けばどんなサッカーができるかという進路相談をしたりもします。大事なことですが、ユース昇格が全てというわけではなく、その子その子に合った成長があります。本田圭佑選手の様に高校のサッカーで花を咲かす子も多いのは事実です。うちのユースがリーグ戦で対戦した高校に、中心となりながら輝いている元ユースの子がいると本当に嬉しいです」と話す。
プロになることがゴールではない
いくつもの試練の後にサッカー人口のほんの一部に開かれるプロの世界。
西野氏は「せっかくプロになってもすぐに戦力外になってしまえば意味がないので、プロになることがゴールというわけでは決してない」と強調する。
「三浦知良選手を除けばほとんどの選手はやれても40歳くらいでピッチから去ります。その後にサッカーに関係する仕事で食べていける人は本当に一握りなので、プロになったアカデミー生は少しでも長く現役でいられる努力をしながら、サッカー以外でも生きられるスキルを身に付けることが求められます。長い人生を考えると、我々はアカデミー生が取り組むサッカーとその先に目を向けてあげることが必要でしょう」(西野氏)
一般企業で働いた後にプロになった鐵戸氏も「当然ですが、現役のサッカー選手にも広く社会に関心を持つスキルは必要です。ただ、サッカー選手の世界は経済や社会から切り離されているので、閉鎖的という特徴があると感じています。サッカーだけをしていると日本や世界がどう動いているのかが見えなくなってしまう。だからこそ現役時代にサッカー以外のことに関わり続け、ピッチ外でも社会人として生きていけるスキルを磨くことで引退後が変わってくるはずです」と話す。
中1と高1。松本山雅と関わる3年間の初めに卒業までの設計を
学習支援の他にも、松本山雅では「人づくり」を目的にした育成支援のための会員組織「RAZUSO(ラズーソ)」を運営している。個人と法人の会員から集められた会費を原資に、多くのプロジェクトを展開。サッカーに限らない総合的なアカデミー生の育成環境整備を進めている。
その一環として行っているのが、「RAZUSO未来デザインプロジェクト」だ。アカデミー生のキャリア教育を目的に、概ね月に1回のペースで外部講師を招き、講演をしてもらっている。
講演会が開かれる現地での参加者は中学1年と高校1年に限定。U‐15とU‐18に入団し、短くてもそこから3年の時間を松本山雅で過ごすアカデミー生が、卒業までの計画を練られる一助にする狙いだ。
「タイトルの通り、自分の未来をデザインしてもらうことが目的なので、講師はアスリートに限定していません。現役選手や大学教授、様々な経験をされた方々の分野横断的な話を聴くことで、サッカー以外にも視野を広げてほしいと思っています」(鐵戸氏)
直近では10月にも、臨床心理士などの資格を持つ地元の大学の准教授を招いて開催。講演後に質疑応答や感想を語り合うグループワークなどの場を設けたという。
地産地育のアカデミー、ホームタウンに貢献できる人材の輩出を目指して
「地域密着」を掲げる松本山雅のホームタウン人口は50万人弱。都市圏に比べて大きいとは言えない人口規模のエリアを拠点とするクラブにとって、地元との関わりと育成は切っても切り離せず、むしろ重宝するものになっている。
勉強を教えている教師は、クラブと直接のつながりがあったことが端緒で企画への参加が決まった。アカデミー生は地域のボランティアとともにトップチームのホームゲームの会場運営を行っていて、社会との関わり方やホスピタリティなど多くのことを学んでいるという。
西野氏は「知り合ったボランティアの方が練習場まで応援に駆けつけてくれることもあります。アカデミー生も気付いてうれしそうですし、見ていていい光景だなと思いますね」と微笑む。鐵戸育成部長も「地域との距離感は地方都市にあるこのクラブの魅力です。地元の皆さんとの関わりの中で育っていく選手には『ここで育った』というアイデンティティが芽生えるはずです。プロになった選手はそこから背負うエンブレムの意味を感じてほしいですし、なれなかった選手も愛着を持ってほしいですね」と話す。
鐵戸氏は、アカデミー生を単にプロ選手候補として考えず、地域に生きる貴重な人材としてもとらえている。彼らを地域とともに育て、将来的にクラブとホームタウンの双方を強くする存在になっていく未来を思い描いているようだ。
「繰り返しですが、プロクラブとして、できることなら全てのアカデミー生がプロになることが理想です。ただ、現実的にそれが難しいとなった時、地域で活躍できる人材を輩出していくことが我々地方クラブの使命ではないかと考えています。選手になれなくても、スポンサー企業さんに就職し、そこで活躍することは同じくらい喜ばしいです。何かしらの形でアカデミーのOBが地域に貢献し、山雅にも還元してくれる。それが目指している姿です。人口が都市部ほど多くないからこそ、一人ひとりの貢献が地域にとって大きなものになるのではないでしょうか」
テレビやネット配信で目にするサッカー選手がいかに限られた一部のプレーヤーであるのかを改めて実感させられた。そのたった数%の陰には90%の見えない存在がいる。育成段階で彼らのキャリア設計を考えることは、未成年の進路に携わる大人として当然求められるものであり、積極的に取り組んでほしいテーマだ。また、J1〜J3まで合わせるとほとんどの都道府県に地元の声援を背に戦うクラブがある。その街に住む人たちの地域への思いを強く感じられるクラブの一部に子どものころからなることは、他ではなかなか得られない経験ではないだろうか。Jリーグには、それぞれの地域を愛し、そこで活躍することができる様な人材をサッカー以外でも育てられる土台があるのかもしれない。
text by Taro Nashida(Parasapo Lab)
写真提供:松本山雅FC