選手の考える力を育む。PDCAサポートAIも使えるデジタル版練習ノートとは
スポーツの世界で選手の主体性を育むことが重要視されるようになって久しいが、その方法についてはまだまだ課題が残されている。指導者が限られた時間の中ですべての選手に目を配り、自主性を育むのは容易ではないというのもその1つ。そこで、デジタルの技術を使って選手が自ら思考し成長できる環境を構築しているのが「Build」というサービス。中高生の部活動からプロのスポーツチームまでが導入して成果を出しているという、新時代のデジタル版練習ノートについて取材した。
AIを上手く活用して指導者の負担を軽減
今回紹介する「Build」とは、AIなどデジタルの技術を活用したスポーツの練習ノートのこと。練習ノートとは、サッカー部や野球部などの運動部で導入されているもので、選手が各自で目標や練習の振り返りを記入し、それに対して指導者がフィードバックする。しかし、100人を超えるようなチームではノートを回収するだけでも一苦労。さらに選手の数だけノートを読み、的確なコメントを書くのは物理的に限界がある。それをAIがサポートしてくれるというのだ。この仕組みに対する思いについて、「Build」を開発したAruga株式会社の下園良太代表は次のように話す。
「我々は、選手が競技能力だけではなく、社会でも活かせるような考える力を養えるよう、また、そういった選手育成をしたい教育的な指導者をサポートするため活動しています。ただ、AIと言うと、人間の仕事に取って代わる存在と誤解されることが多いのですが、Buildは監督やコーチに代わって選手を指導するということではなく、あくまでも指導者の負担を軽減するためのサポート的な存在です。監督やコーチは時間がないということもありますし、競技に関する専門的な知識はあるけれど、目標設定や振り返りの仕方のアドバイスまで行うのは負担が大きいという人もいます。そこで選手の目標設定や振り返りに対するフィードバックをBuildが担保することで、よりよい指導ができると考えています。AIの名前も『PDCAサポートAI』と名付けております」(下園氏、以下同)
使うのは身近なアプリLINE
「Build」の基本的な機能は、まず選手が既存のアプリ「LINE」を使ってそれぞれの目標設定や、練習の振り返りを入力。指導者はそれに対して管理画面からフィードバックをすることができる。さらに、ChatGPTを拡張したPDCAサポートAIが自動で目標設定と振り返りの仕方について、フィードバックをすることもできるのだ。
「LINEは今どきの若い人なら普段から使い慣れているので、新しいアプリをダウンロードする必要もないですし、操作もしやすいというメリットがあります。それに答える指導者も、ノートを何冊も持ち歩く必要がなく、たとえば通勤途中のバスや電車の中でも確認することができるので時間を有効に使うことができるのも強みの1つです。さらに部員が100人いたとして、毎日全員に返事をするのは難しいですが、BuildにはSNSの『いいね』ボタンのようなものがあるので、選手の書き込みに対して即座に反応してあげることができます」
また、管理画面では各選手が立てた長期・中期目標や過去の目標達成状況が見やすくなっているので、選手の成長に合わせたアドバイスをすることもできる。しかし、ここまでなら、単にアナログだった練習ノートをデジタル化しただけなのだが、Buildの凄さは、AIによって選手の目標設定や振り返りの力が伸び、主体性が育まれるという点だ。
国語力もアップ?
現在アメリカの大リーグで活躍中の大谷翔平選手が高校時代にマンダラチャートを使って、明確な目標設定をしていたことは有名だ。しかし実は、この目標設定自体が難しいのだ。「ゴールシュートの精度を上げる」「ホームランバッターになる」といった長期目標は立てられたとして、その目標を達成するために日々どんな目標を立てるべきか、中期目標はどうすればいいのかを、すべての選手が最初から決められるわけではない。そこで役立つのがBuildというわけだ。
たとえば、LINEの入力画面の「ビジョン設定」のボタンを押す。すると、AIが提示したビジョンの入力例を参考に自分でビジョン設定ができる。
次にそのビジョンを達成するために1週間で取り組むための中期目標を設定するよう促され、設定のためのアドバイスや例なども提示してくれる。
そして毎日の練習前に今日の練習で意識する短期目標(アクションプラン)を設定。
さらに、答えの内容を PDCAサポートAIが読み取り、目標設定のフレームワーク「SMART」に沿ったアドバイスをしてくれる。例えば、「具体性が薄い」「大目標のビジョンとの関連性が高くて良い」など。
このように短期、中期、長期の目標を立てやすいように導いてくれるのだ。そして週末には、その週に行った練習の振り返りをし、目標の達成状況や来週さらに改善できることを展望することができる。
「最初は、今日の練習目標に『走る』とか『素振り100回』といったざっくりとしたことしか書けない選手が多いのですが、PDCAサポートAIからフィードバックをもらいながら継続していくうちに、記述がどんどん具体的になっていきます。実際に続けていくと目標設定や振り返りの文字量が多くなっていくというデータがあります。直接的な因果関係を示すエビデンスはないんですが、Buildを使って目標設定をするようになって、文章力が上がって国語の先生に褒められたという声もいただいています」
また、人間ではなくAIがサポートすることで心理的なメリットも生まれるという。
「人間の指導者が『これはどう?』『あれはどうだった?』『次はどうする?』と聞くと、選手は追い詰められたような気持ちになることもあるようです。その点、相手がAIだということで選手も記入しやすくなりますし、指導者も客観的に各選手の状態や気持ちを把握できるので、距離感としてもちょうどいい存在なんじゃないかと思います」
スポーツを通してより良い人生を歩む力を養う
Buildを使えば、選手の考える力、主体性が養われるということだが、そもそもスポーツ選手に、なぜ主体性が必要なのだろうか?
「数学や理科などの学校の座学は決まった1つの答えがありますが、スポーツは答えのない問題に取り組むといった特徴があり、そこが面白いところです。社会に出ると、進路やキャリア、結婚、人間関係など答えのない問題にたくさん直面します。ですからスポーツを通して、自分で答えを見つけ出す力を養っておくことは生きていく上でとても役に立つんじゃないでしょうか」
サッカーも野球も、スポーツの世界では一度グラウンドに出たら、誰も正解を教えてくれない。自分で判断するしかないのは実は一般の社会生活でも同じと言える。
「自分の人生をより良く生きるためには、自分で考える力が必要だと思うんです。ただし、より良い人生は人によって違っていて正解はありません。ですから、自分にとって何が良い人生で、そのように生きるには何が必要かは、自分で考えて自分で決めていかないといけない。他者の考えに依存しすぎずに自己決定できること、自分で考えて反省すべきところは反省して、次にどう行動すべきかを考えることで問題解決ができる。だからこそ、自分で考える力は誰にでも必要ですし、僕らはそれをスポーツの現場から養えるようにしたいなっていう思いでいるんです」
AIを導入することで、ともすると指導者と選手の絆が薄れてしまうような誤解があるかもしれないが、下園氏たちが目指すのは、むしろ選手が指導者に見守られていると感じられるような環境、チーム作りだそう。デジタルの技術を導入することで、指導者が選手と向き合う時間が増えれば、スポーツ指導の在り方もきっといい方向へ変わっていくのではないだろうか。
text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
photo by Shutterstock
写真提供:Aruga株式会社