「社会人としてこのままじゃ…」DeNA関根大気が横浜に児童支援施設を開所。出発点は同窓会で抱いた危機感

横浜DeNAベイスターズの関根大気選手は、プロ入り11年目となる昨年10月、「児童支援」と「放課後等デイサービス」の機能を併せ持つ施設事業を始めた。他にも、オフシーズンにはメキシコの野球リーグにも参加するなど、精力的に横浜スタジアムの外にも活動の範囲を広げている。関根選手はこれらの活動を通して「様々なことを経験することの重要さ」を強調するが、野球以外の活動を始めるきっかけは意外にも、高校の同窓会での何気ない会話からだったという。運営責任者であり、現役選手という二足のわらじで向かう先に何を目指すのか伺った。
シーズン中も日々オンラインで施設のスタッフと連絡

2025年1月末の平日の午後、練習を終えた関根選手の姿は横浜市磯子区にあった。
関根選手が向かった先は、自らが運営する児童発達支援・放課後等デイサービス『グローブ』。未就学児を対象にした「児童支援」を午前中に、就学児童を対象にした「放課後等デイサービス」を午後に、それぞれ行っている。障がいなどにより集団生活に困りごとのある子どもたちが入所対象で、グローブでの生活を通して自立を促す療育を手がけている。
子どもたちがどのような様子で遊び、スタッフたちはどのように接したのか、シーズン中にアウェイゲームなどで横浜を離れることの多い関根選手は、オンラインで現場のスタッフと日々連絡を取り合いながらその様子を確認しているという。
「これからチームの春季キャンプ(2025年2月)があるので奄美大島に行くんですが、そういった間もスタッフとできるだけ同じ目線で話ができるようにしないといけないですからね」と笑顔で話す関根選手。練習終わりだが、疲れを微塵も感じさせず、子どもたちのレポートに目を通していた。その視線は温かくも真剣だ。
「それぞれのお子さんに対してそれぞれの療育の段階や方法があります」と話すのは、施設の管理責任者、佐藤真澄さん。施設が企画する催しも多種多様で、打ち合わせをする二人が眺めていたカレンダーには、紙を雪に見立てた「雪合戦」や「オリジナルカイロづくり」など、季節に応じたプログラムが毎日書き込まれている。
同窓会で感じた焦り。「社会人の会話が全く分からない」

この異例のプロジェクトを始めるきっかけになったのは、新型コロナウイルスの脅威も薄れつつあったころに参加した高校の同窓会だったという。
「当時の年齢は26歳か27歳くらいだったと思います。私は高校を出てからすぐにプロになりましたが、高校時代の同窓生たちは大学を卒業して、社会人数年目くらいのタイミングでした。参加した同窓会で顔なじみのメンバーと会っているはずなのに、彼らが話していることが全く分からず、すごく違和感を感じたんです」
内容のここがわからない、などではなく、言っていること自体が全く分からない、と感じたと言う。
「自分は高校卒業した時のまま止まっているのではないかと。野球をするのが仕事という特殊な環境ですが、自分も社会人です。このままじゃダメだと思いました」
その後、関根選手はアスリート向けのオンラインビジネス講座の受講を始めることを決意。
毎週オンラインで講義を受けつつ、課題をこなしていった。
講義を受ける中、ビジネスについて学んだことを野球とは別の事業で生かせないかと考え出した関根選手。そんな時、北海道の知り合いから転機となる話を聞かされた。
「高校の知人を通して知り合った方でしたが、その方から札幌に比べて横浜の療育施設が人口比でみると少ないというお話を伺いました。実際に裏付けとなるデータを見た時、自分に野球選手としてプレーする場を与えてくれた横浜、応援してくれている横浜に野球以外でも貢献したいと思ったんです」
療育施設の開業を決意した関根選手。事業を始めることについて球団から許可をもらい、信頼するビジネスマンの兄からも作成した事業計画書に太鼓判をもらった。こうして2024年の春から本格的に起業に向けて始動。10月の開所に至った。
経験が蓄積することで成長する

同窓会を契機に、視野を広げるために多様な経験を自ら率先してするようになったという関根選手。そしてそのたびに「経験すること」の重要さを肌で感じていくようになったという。
一番最初に全く知らない世界を経験することの大切さを知ったのは、最初に挑戦したビジネス講座だった。
オンライン講義を受けた際、言語化能力を上げるために試合の振り返りをレポートにして提出することが求められた。このレポートを書くという経験が野球の成績にもつながっていったと関根選手は語る。
「シーズン中はほぼ毎日試合があるので、かなり高い頻度で振り返りを書くことになっていました。レポートは講師に添削してもらえるのですが、『もっと具体的に』とか『結論を先に』とかたくさんフィードバックがあるんです。これを続けているうちに、どんどん感じたことや考えたことを言語化できるようになりました。前なら『真っすぐを狙っていた』という書き方をしていたところが『〇〇kmくらいのインコースの直球を狙って、どこの方向に向かって打とうと思い、結果はこうなった』みたいな形で具体的に記せるようになったんです。文字にしっかりと残せるようになったことで、反省を次に活かせるようになっていきました」
ビジネス用の講義で身に着けた言語化能力は、翌シーズンの活躍につながっていった。
一つのことにとらわれず、経験を広げ、重ねていくことが自分自身の糧になり、引き出しを増やしていく。こうした今の関根選手の軸を構成するもう一つのエピソードが、オフシーズンに参加しているメキシコリーグだ。
2022年、球団の制度でメキシコのウィンターリーグに派遣されて以降、毎年個人的にオフシーズンの参加をするようになった。
「もちろん野球で学ぶこともたくさんありますが、スペイン語圏のメキシコで学ぶことは言語や人々のものの考え方だったりします。例えば、監督に代打を出されるという経験は選手としてつらい瞬間です。メキシコで代打を出されたときも、本当に悔しかったですが、監督が僕に
『今日もありがとう。君の準備している姿や努力を僕らは見ているから、明日もよろしくね』
と声をかけてくれました。成績不振で落ち込んでいる自分の存在を監督が肯定してくれたことで、明日も頑張ろうという一歩目を踏み出すことができました。他にも、自分より年下の選手から
『どんなに悪い状況で苦しかったとしても、それでも生きているうちはいいことを探し続けないといけない』
と励まされたこともありました。もちろん過去にも日本で仲間から励まされたことはありましたが、メキシコでかけられた励ましの言葉は初めて言われたものでしたので、とても印象に残っています。今後、落ち込んでいる誰かにかける自分の言葉の引き出しが増えたと思いました。自分はメキシコに行った分だけ、考え方や言葉の引き出しが増えていっていると感じますね。これは施設のスタッフにかける言葉だったり、野球を教える機会があれば生かせるものだと思います」
子どもたちもいろいろな「経験」ができる場に

管理責任者の佐藤さんは長年、療育施設の現場に携わってきたベテランだが、関根選手の開いた「グローブ」に感じる可能性があるという。
「まだまだ療育施設の認知度は十分ではないと思います。そうした中、現役の野球選手が開いたということで興味を持たれる親御さんがいることは事実です。より広く人に知ってもらえるきっかけになっているんじゃないかなと感じています」(佐藤さん)
関根選手自身も、施設を開いて以降、人生でうれしくなる瞬間が増えたと語る。 「選手だけをしていた頃、チームの勝利に貢献してファンの方に喜んでもらうことにうれしさを感じていました。今は、その喜びに加えて、子どもたちやスタッフが楽しそうにしていることで感じる喜びが増えたと思うんです」

まだまだ開所間もない段階の施設。関根選手の現在の目標は、まずは経営の安定と語るが、これはあくまでも短期的なものであるといい、随時更新していく予定だ。
ただ、目指している理想は胸の中にあるという。
「僕自身、自分の人生の中で色々な経験をすることの大切さを実感してきました。そして、それがこの施設を開設するきっかけになりました。ですから、子どもたちにも療育の中で様々な経験を重ねてほしいと思っています。そして、その経験の中に、僕が現役の選手であるからこそ提供できることを織り交ぜられたらと考えています。もちろん進める際は、子どもたちの負担にならないよう現場の判断を仰ぎながらになるので、現実的にどうなるかは分かりません。ですが、理想はそこにあるので、今は現役生活を長く続けられるように活躍し、施設のスタッフや子どもたちが快適に過ごせるように運営していけるようにしたいと考えています」
「事業に取り組むことで本業(野球)に影響はないですか?」との問いに「どちらも本業ですよ」と答えた関根選手。野球で成績を伸ばすための努力にはもちろん余念はなく、その上で時間を効率的に使いながら、事業所の運営にしっかり取り組んでいる様子だった。関根選手のように現役のプロスポーツ選手が社会課題に取り組むことで、その問題への関心が集まるようになる。「二つの本業」のシナジーとさらなる発展を目指す関根選手の歩みに、これからも注目したい。
text by Taro Nashida(Parasapo Lab)
写真提供:関根大気