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【名言】心が折れそうな時、勇気をもらえる逆境越えアスリートの言葉
2019.02.08.FRI 公開
アスリートの名言集というと、通常は競技に関しての努力や勝負、挑戦といったことが取り上げられるが、今回は、障がいという逆境を乗り越えたトップアスリート、パラリンピアンの名言を紹介したい。障がいと真正面から向き合い、パラアスリートとして世界トップレベルを目指す彼らの力強い言葉は、人生にくじけそうになった時にきっと勇気を与えてくれるはずだ。
人生に何が起きても揺らがない、不屈の精神
義足のジャンパー、山本篤
(事故で左脚を切断しなければならないと知った時、どう思ったか?という質問に対して)
いや、べつにあまり深くは考えてなかったです。脚がなくなったら何もできなくなる、というイメージは持っていなかった。むしろ、脚がなくなってもスノボはしたいな、っていうことを考えていましたね。
ー『GO Journal』ISSUE 01より ー
「脚を切断する」という非常にショッキングな状況に陥っても、これから「できなくなること」にフォーカスするのではなく、これからも「できること、したいこと」に目を向ける山本選手。
「ドクターにも手術の直前に『(脚を切っても)スノボできますか?』と聞いていたくらいで。看護婦さんからは心配されましたよ。『あの子、まったくヘコんでないけど大丈夫?』って。僕があまりにあっけらかんとしてたものだから、周囲の人たちから『辛くないのかしら』って、かなり心配されていたみたいです」(『GO Journal』ISSUE 01より )
という仰天エピソードもあるほど、そのポジティブシンキングは究極だ。
その強さの源のひとつに、山本選手の「昔から楽しいことをやっていきたい、嫌なことはやりたくない」というシンプルな姿勢がある。人生が180度変わりそうな出来事に遭っても、決して彼のポリシーが揺らぐことはない。
山本篤
1982年生まれ。静岡県出身。陸上男子走り幅跳び、短距離選手。陸上競技障害クラスはT63。17歳のときにバイク事故で大腿部を切断。高校卒業後、義肢装具士を目指したことをきっかけに、パラ陸上の世界へ。2008年の北京パラリンピックでは、日本の義足陸上競技選手としては初めて、走り幅跳びで銀メダルを獲得。2013年のIPC世界陸上競技選手権では金メダルを獲得。2016年のリオパラリンピックでは走り幅跳びで銀メダル、400メートルリレーでは銅メダルを獲得した。2017年10月よりプロアスリートとして活動を開始し、2018年の平昌パラリンピックへスノーボード日本代表選手として出場を果たした。
限界は、自分が作り出している思い込みに過ぎない
義手のスプリンター、重本(旧姓:辻)沙絵
(パラリンピックで陸上選手としてメダルを目指さないか?という監督からの提案に対して)
大学でもハンドボール部のレギュラーだったし、それまで、ほとんどのことが健常者と一緒にできてきた人生を送ってきて、(当時は)なんで私が今さら「障がい者」っていうくくりに、自ら入らないといけないのか理解できなかった。
できないことなんかないし、むしろ人よりできることのほうが多いしって。
ー『GO Journal』ISSUE 01 より ー
私たちは「障がい者 = できることが限られている」というイメージを勝手に持っていないだろうか? ところが、先天性前腕欠損という障がいで、生まれつき右肘から下がない彼女は、そうは思っていない。
重本選手は、小さな頃から足が速く、小学校、中学校、高校と駆けっこはすべて1位、リレーもアンカーを任されていたほど、運動神経が良かった。
「わりと器用に要領よく、なんでもできちゃう子だったんですよね。逆に『ああ、みんなできないんだな」って思うことはよくありました」(『GO Journal』ISSUE 01より )
腕がないことでネガティブになることはほとんどなかったと言う重本選手。彼女の姿勢から学べるのは、結局は私たちが自分で限界を作り出しているということ。もし普段の生活でつい「できない理由」を探すのがクセになっているとしたら、今が変わる時かもしれない。
重本(旧姓:辻)沙絵
1994年生まれ。北海道出身。陸上女子短距離ランナー。生まれつき右肘から下がない先天性前腕欠損。陸上競技障がいクラスはT47。小学校の頃にハンドボールを始め、高校時代には総体ベスト8、2016年の国体出場などの成績を残す。日本体育大学在学中にパラ陸上競技へと転向。2015年、世界選手権で6位入賞。リオパラリンピックの陸上女子400メートルで銅メダル獲得。現在は日本体育大学大学院在学。
人と「同じこと」よりも「違うこと」を大事にする
片腕のスイマー、 一ノ瀬メイ
障がい者に関係ないけど、日本はなんでもカテゴライズしがちな国。思い込みで決めつけたり、勝手に人を分類したり。
情報を発する側も受け取る側も、もっと人を「個」として見ることができるようになったらいいなって思う。
ー『GO Journal』ISSUE 02 より ー
生まれた時から右肘から下がない先天性右前腕欠損で、物心ついた頃から「障がい者」とカテゴライズされてきた彼女だが、両親(父がイギリス人、母が日本人)が彼女に常に言い続けてきたことは「違いを大事にしなさい」と言う教えだ。
当時「腕が無い」ということが分かった際、相当ショックを受けた母に対して、父が伝えたのは「腕が無くったって、歩いてどこにでも行ける」という言葉だった。その多面的な発想は、その後の母の考え方をガラリと変えた。学校に馴染めず嫌いになった時も「メイちゃんはそのままでいい。もしも馴染めないなら、学校を替えればいい」とアドバイスしたという。
そんな両親に育てられた彼女は今、その個性を存分に輝かせて生きている。
カテゴリーはただの記号のようなものだ。しかしそれがもたらすものは何だろうか。「安心」かもしれないし、「隔たり」かもしれない。試しに、今度初めて会う人には肩書きを尋ねるのをやめてみよう。代わりに、その人の好きなことについて聞いてみよう。そんな風にカテゴリーではなく、皆が人それぞれの個性にもっとフォーカスするようになったら、お互いを尊重し、理解し合える社会に変わっていくのかもしれない。
一ノ瀬メイ
1997年生まれ。京都府出身。近畿大学水上競技部所属。生まれつき右肘から下がない先天性右前腕欠損。障がいクラスはS9/SB9/SM9。1歳半から京都市障害者スポーツセンターで水泳を始める。2010年、当時史上最年少でアジアパラ競技大会に出場し、50メートル自由形で銀メダル獲得。以降、中学・高校年代に国内およびアジアの大会で数多くのメダルを獲得。2016年のリオパラリンピックでは、100メートル自由形(S9クラス)で自己ベストを更新した。
パラスポーツと未来を突き動かすグラフィックマガジン
「GO Journal 」
写真家、蜷川実花氏がクリエイティヴ・ディレクターを務めるグラフィックマガジン「GO Journal 」では、毎号注目の逆境超えアスリートのインタビューを掲載中。
3月リリースの最新号 ISSUE 03 も要チェック!
text by Parasapo Lab
photo by Getty Images/GO Journal-Mika Ninagawa
photo by Getty Images/GO Journal-Mika Ninagawa