[先駆者と新星が語る] “かっこよさ”にこだわり続けたい

[先駆者と新星が語る] “かっこよさ”にこだわり続けたい
2019.05.28.TUE 公開

text by Number編集部(Sports Graphic Number)
photograph by Takuya Sugiyama

※本記事はSports Graphic Number との共同企画です。


「理論に裏づけされた練習しかしたくない」と語る大ベテランと「感覚で練習している」という若手ホープ。草なぎ剛と語り合う中で見えた、パラ陸上界を代表する2人の意外な共通点と相違点とは。


日本パラ陸上界の先駆者と期待の新星が顔を揃えた。

山本篤、37歳。17歳で交通事故により左太ももから下を失い、高校卒業後は義肢装具士を目指して専門学校へ。陸上競技に出会うと才能を開花させ、夏季パラリンピックに北京から3大会連続出場、’16年には走り幅跳びで当時の世界記録を更新した。

もうひとりの井谷俊介は、昨シーズン彗星のごとく現れた24歳。昨年のアジアパラ競技大会では100mでアジア新記録を樹立し、注目度が急激に高まっている。

ふたりとも“二刀流”の陸上選手。

草なぎ 井谷選手は競技を始められてまだ間もないと聞きました。

井谷 100mの短距離を始めてまだ1年と少しです。小学生から高校までは野球部で投手で、小さい頃からレーサーになりたいという夢も持っており、大学に入ってからレーシングカートを始めました。でも、約3年前にバイクの事故で右ひざから下の脚を失ってしまって。

山本 陸上競技との出会いは事故後?

井谷 そうです。事故後、地元の三重県に義足のランナーのチームがあって、母に連れられてその練習を見学に行ったのがきっかけです。そこでみなさんが楽しそうに走っているのを見たら、僕も走りたくなって。いざ走ってみると風を切る感覚が気持ちよかったし、何よりそんな僕の走る姿を見て、母まで笑顔になってくれました。

草なぎ その後すぐに本格的に陸上を?

井谷 それが、競技用義足は何百万円もするので手が出せなくて……。学生時代は陸上よりもプロレーサーになりたい気持ちが強く、レース活動を続けていて、「義足のプロレーサーになりたい!」「東京パラリンピックも出たい!」と必死になっていました。そこでとあるご縁からプロレーサーの脇阪寿一さんと出会い、それがきっかけで夢に賛同して下さる企業さんにも出会えて、最初の所属先が決まりました。

草なぎ カーレースと陸上の二刀流ですか! 聞いたことない。おもしろいですね。

山本 実は僕も二刀流なんです。陸上に出会う前からスノーボードにはまっていて、事故の後も趣味で続けていたんです。リオの後、本格的に取り組み、怪我も多かったのですが平昌パラリンピックにも出場しました。

草なぎ 平昌にも!

山本 楽しかったですよ。結果は決勝トーナメント1回戦で敗退でしたが……。

陸上を始めて間もないのに11秒70。

草なぎ おふたりとも多才ですね。井谷さんは陸上を始めて間もないのに、昨年のアジアパラで11秒70というタイムを出し、優勝もしてます。そんなことあるんですか?

山本 勢いあるよね。若い頃はいきなり強くなるタイミングがあるけど、井谷くんはまさに今その状態だよね。

井谷 タイムが伸びているのは最初が悪すぎたというのもあると思います。初めて国際大会に出たのは去年の5月(北京グランプリ大会)。優勝はしましたが、12秒91と平凡なタイムでした。実はこのレース前日に肉離れをしてしまって。その晩も寝れないくらい痛かったんです。でも、お世話になっている人たちへ「棄権しました」ではダメだと思い、気合いで強行出場しました。

草なぎ 肉離れしながら走るのは考えられない……逆に集中できたんですかね。

井谷 とにかく早く走り終えて、ベッドに寝転がりたい一心だったんです。その肉離れは9月まで響きました。

山本 じゃあ10月のアジアパラが、初めてストレスなく走れた大会だったんだ!

井谷 はい。もう、よっしゃー! って走りました(笑)。予選から楽しかったです。結果的には初めてのシーズン、良い形で終えられましたが、今だったら怪我をしたらきちんと治すことに専念します。それだけ自分の体への意識が低かったんです。

陸上界に現れた若手ホープ 井谷俊介 ©X-1

井谷 山本選手は僕の憧れの存在でもあるので、質問をしてもいいですか? 競技を始めて1、2年はどのように練習メニューを組んだり、身体のケアをしていたんですか。

大学時代から変わらないサイクル。

山本 最初は陸上の知識も全くなかったし、ひとりで練習してました。僕は高校までバレーボールをやっていたのですが、バレー部は毎日同じトレーニングの繰り返しだったんです。だから陸上も同じだろうと自己流でメニューを組んでいたけど、でも、タイムが伸びなかった。このままだと強くなれないと思い、大阪体育大学に入学して陸上部で本格的に練習を始めると、あっという間に記録が伸びていきました。

草なぎ それからはどんな練習を?

山本 1週間の練習メニューが決まっています。月曜日はブロックを使ったスタートダッシュ、火曜は「加速走」といって30mの助走をつけて次の30mを全力で走る練習。水曜がウエイトトレーニング、木曜はオフ。金曜にまた加速走をやって、土曜日は150mから250mの少し長めの距離を走り、日曜日はオフです。大学生のときからずっとこのサイクルですね。

草なぎ 十数年そのリズムで?

山本 細かい変化はありますが、基本的にはこのメニューを変えてません。

井谷 すごい……。僕はズボラで、練習日誌もたまに付け忘れてしまいます。感覚に頼っている部分の方が多いです。

山本 井谷くんは若くて、走れば走るだけ記録が伸びているからいいんだよ(笑)。

同じ陸上選手でもタイプは大違い。

草なぎ 同じパラリンピックを目指す陸上選手でもタイプが全然違いますね。

山本 僕は昔から何事にも「なんで?」と疑問を持ってしまう性格なんです。練習も「なぜこのメニューなのか」を理解しないとやりたくない。理不尽は嫌いです。その点、大学入学からずっとお世話になっている伊藤章コーチは理論の部分も丁寧に教えてくれる。

 例えば、土曜日のメニューは「週の後半で体が疲れているときに長い距離を走ると、筋持久力が鍛えられるから」。メニューにはすべて理由があり、それが全て僕の中で腑に落ちているからこそ同じ練習を十数年続けていられるんだと思います。

井谷 見習いたいです。僕は今、脇阪さんの紹介で、山縣亮太選手や福島千里選手も指導している仲田健コーチについているのですが、自分の理論というより、コーチの言うことや周りの方のアドバイスを吸収するだけで必死で……。

山本 井谷くんはトップ選手もこなしている、いわば完成されたメニューをやっているので「なんで?」となりにくいんだよ。恵まれた環境にいるのは間違いないから安心していいと思うよ。

かっこよく見える走り方、跳び方。

山本 草なぎさんにひとつ聞いていいですか? 役者のお仕事などで「なんで僕がこの役なの?」とか、思ったりしますか。

草なぎ ないですね。結構、言われたことを素直にやるタイプなので(笑)。やってみないと分からないから、とりあえず一回やってみよう、と。アスリートと違って僕らの仕事は失敗が面白くなったりもして、自分には不向きな仕事が作品として見ると面白くなっていたりもするんです。下手さが“味”になるというのかな。でも限度を超えると、味ではなく、ただの下手クソになってしまうので、気をつけてますけど。

山本 僕もタイムや順位とは別に、お客さんに競技中の自分の姿をかっこよく見せたいというこだわりがあるんです。ある意味で味を出したいということかもしれません。だから写真写りも気にしますよ。

草なぎ へー! 何かきっかけが?

山本 メディアに写真が載ったときに「この写真嫌だな」というケースがあるので、常にかっこよく見える走り方や跳び方を研究しています。例えば、僕は競技中はサングラスをするのですが、それもかっこよさのため。全力で走っていると重力のせいで、白目剥いちゃったりするので。あと、僕は走り幅跳びでジャンプする時に空中で足を回すのですが、これはたまたまやってみたときに撮られた写真がすごくかっこよかったから。それからこの跳び方に変えました。

パラリンピック3大会連続出場の大ベテラン 山本篤
ⓒKYODO

練習にカメラマンを呼ぶことも。

草なぎ ビジュアル重視ですね! それで記録は落ちなかったんですか。

山本 それが記録も上がったんですよ。落ちたら戻さないとなって考えていたので安心しました(笑)。今でもたまに練習にカメラマンを呼んで撮ってもらい、フォームの見え方をチェックしたりしますよ。

井谷 僕も同じです。特に子どもたちに、かっこいいと思ってもらいたい。単純にハンディを乗り越えて頑張っています、では憧れの存在にはならないと思うので。

 でも、実はひとつ悩みがあって。僕はまだ競技歴が浅いので「辞めたい」と思ったことはないのですが、長く続けていくとそういう時期も出てくるのかな、と。長年芸能界でお仕事をされている草なぎさんは「辞めたいな」と思ったことはありますか。

草なぎ それはありますよ。13歳から仕事をしていますからね。でも結局なんでこの仕事を続けているのかというと「好きだから」なんです。失敗してめげたり、嫌になったりしたときは、自分の原点、仕事を始めた頃の気持ちを思い出すようにしています。

山本 すごく分かります。僕はもうアスリートとしてはベテランの域ですが、競技を始めたときの原点を忘れないでいたい。初めて出場した北京パラでは、緊張しすぎて楽しさを忘れたこともありました。

最初に出場した種目が100mだったんですが、ベストタイムが12秒8だったのに本番では13秒68。いくら調子が悪くても自己ベストより0.8秒も遅いなんてありえない。つまり緊張に負けたんですね。そこから開きなおって、2日後の走り幅跳びでは、銀メダルを獲ることができました。

リオでの山本の雄姿を見て憧れた。

草なぎ ’16年のリオでは見事に走り幅跳びで銀メダル、4×100mリレーでは銅メダルを獲得されました。井谷選手はリオはご覧になっていましたか。

井谷 はい。リオはちょうど僕が義足になって数カ月のとき。リハビリをしながら山本選手の姿をみて、ものすごく刺激になりましたし、憧れました。

草なぎ 事故後、時間がたっていないと思うのですが、足を失った精神的ショックからは立ち直られていたんですか。

井谷 落ち込んだのは入院中の最初の2日だけでした。足を失った直後は、やっぱり家族や友達がすごく悲しんで、病室の中がお葬式みたいでした。自分の怪我よりも、そのことが僕は悲しくて……。周りのみんなに笑顔になってもらうには、僕が笑顔になるしかないなと思って。「井谷は足切ったけど前と変わらんね」と言ってもらえるようにリハビリも頑張りました。

山本 僕も大泣きしたのは1回だけ。膝下と膝上の2回手術したんですが、2回目の手術前にはお医者さんに「手術してもスノボできますか?」と聞いて、落ち込むどころか、どうやったらスノボができるようになるのかを考えてましたからね。パラの選手は結構立ち直り早い人が多いです。

10秒台で走ればメダルも見える。

井谷 僕らは競技に出会えたからこうして表に出て元気でいますが、障がいを負ってから長い間立ち直れていない人たちがいるのも事実です。そんな人たちに少しでも刺激を与えられる存在でありたい。パラリンピックという大きな目標を持たなくていいんです。義足で走ったら楽しかった、笑顔になれた、そんな体験をしてほしい。

草なぎ ’20年はたくさんの人にパラスポーツの魅力を伝える大きなチャンスですね。

井谷 強い姿を見せたいです。そして僕の走りを見て、多くの人に笑顔になってもらいたいですね。今僕のベスト記録は11秒70なんですが、世界記録は10秒61。ひとまず今季中に11秒1、2まで持っていき、来季は10秒台で走りたい。そうすれば自ずと東京でのメダルも見えてくると思います。

山本 アジアは裕福な国が少ないので義足が普及しておらず競技レベルが高くありません。井谷くんには「アジアで1位」に満足せず、もっと上を目指してほしいな。僕もまだまだ満たされてないので、東京では金メダルを勝ち取りにいきますよ。

山本篤 Atsushi Yamamoto / Track and Field
1982年4月19日、静岡県生まれ。走り幅跳び、短距離選手。2008年の北京から3大会連続でパラリンピックに出場しており、銀2 、銅1 のメダルを獲得。’16年、走り幅跳びで当時の世界記録を更新した。167cm。

井谷俊介 Shunsuke Itani / Track and Field
1995年4月2日、三重県生まれ。短距離選手。大学2年のとき交通事故で右膝下を失う。2017年11月より競技を始め、昨年9月、日本パラ陸上競技大会100mで準優勝。10月のアジアパラ競技大会では優勝した。179cm。

草なぎ剛 Tsuyoshi Kusanagi
1974年、埼玉県出身。YouTuberとしての活動にも力を入れ、85万人超のチャンネル登録者を得ている。愛犬クルミも頻繁に登場。映画『まく子』が全国順次公開中。5月より舞台『家族のはなし PART㈵』に出演。

本連載は約2カ月に1度の掲載、次回は6月末の発売号(7月末WEB公開)の予定です

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