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パラ卓球の顔・岩渕幸洋、“ハイブリッド”卓球で世界の頂へ
パラ卓球の日本代表チームで唯一、実業団チームに所属し、健常者がプレーする日本卓球リーグの舞台に立つ。海外ではパラリンピックとオリンピックの両方に出場している選手もいるが、日本で障がい者と健常者の垣根を越えるハイブリッドな卓球技術を持つのは岩渕幸洋だけだ。そのぶん周囲の期待は大きいが、注目を浴びる自分にはパラ卓球の普及が託されているという使命感も強い。2016年のリオパラリンピックに次ぐ2大会連続のパラリンピック出場と東京2020パラリンピックでの金メダルを目指す岩渕の進化に迫った。
前例のないパラ卓球選手の実業団入り
卓球実業団男子1部リーグの名門チームである協和発酵キリン(2019年7月より協和キリン)から岩渕幸洋の入部が発表されたのは2017年4月のことだった。健常者のみが所属する実業団チームにパラ卓球選手が迎え入れられるのは異例中の異例。この驚くべき快挙は卓球に関わる多くの人々をあっと言わせた。
岩渕幸洋(以下、岩渕) 早稲田大4年生のときにお声がけいただいて、最初はびっくりしました。卓球のトップ選手と自分が一緒に練習できるのかなって、イメージがつかない部分もありましたし。実際に入部してボールを打ち合ってみると、やはり球質が全然違って、最初の1年くらいはまともに打ち返せませんでした。ただトップレベルの練習相手が常にいる環境というのはとても恵まれていて、仕事として卓球をするという点でも、より責任を持って競技に取り組むようになりました。
協和キリンの所属選手にはITTF(国際卓球連盟)世界ランキングや国内ランキングの上位者がいる。岩渕は彼らトップクラスの先輩たちに卓球の基本の大切さを教えられたという。
岩渕 もちろん技術の面でも日々、トップ選手の「当たり前」に触れて、基礎力の部分がすごく上がったと実感しています。例えばラリー中にどこを見るか。入部してすぐの頃、コーチに「ボールを見すぎている」と指摘されたんです。強い選手はボールを見ているようで相手の動きを見ているのだと。自分ではそう意識しているつもりだったのに、チャンスボールが来ると打つことに必死で相手の動きを見ていないから、相手のいるコースに打ってカウンターでやられるというパターンがよくありました。
ワールドツアーで4年ぶりのシングルス優勝
2019年6月。ITTFパラ卓球ワールドツアー・メキシコオープンで岩渕は実に4年ぶりとなるクラス9(立位)男子シングルス優勝を果たした。2015年にはワールドツアー3大会でシングルス優勝を挙げ世界ランキングを一気に伸ばし、翌年のリオパラリンピックにも出場した岩渕。飛ぶ鳥を落とす勢いだった若武者に何が起きていたのか。
岩渕 国際大会で勝てるようになってから、海外の選手たちに対策されたというのはあると思います。とくに自分が使っているラケットのバック面は表ソフトラバー(バック表)といって、男子選手には極めて少ないタイプのラバーで、このラバーには相手の打球の回転の影響を受けにくく、ナックルボールのようなクセ球が打てるという特性がある一方、相手に慣れられると逆に回転量や威力のあるドライブボールにやられてしまうというデメリットもあるのです。
技術面に加え戦術面の未熟さにも勝てない原因はあったという。
岩渕 以前の自分は試合中、「とりあえずこう振ってみよう」というアバウトな感じでプレーしていました。でも協和キリンに入って、コーチから「次はこことここのコースにしかボールは来ないから、ここに来たらこう返して。そうすると次はこうなるから」というように試合展開の先の先まで読んだアドバイスを受けるようになり、自分でもよく考えて試合をするようになりました。考えてプレーできると、次に何をやるかが明確になるので迷いがなくなります。「このコースにボールが来たらここに打つ」とか「こういうボールが来たら一度つないでから攻める」とか「次は相手のミスを誘おう」という具合に攻撃の選択肢が増えてきました。その成果がようやく成績につながったのだと思います。
リオパラリンピック予選敗退の悔しさをバネに
周囲からの期待と自身にも期待をして臨んだリオパラリンピックでは予想以上の緊張から自分のプレーができず、まさかの予選敗退という悔しい結果に終わった。初めて肌で感じた4年に一度の大舞台の重圧。だが、その経験こそが岩渕を変えた。
岩渕 リオでの経験は大きかったですね。あそこまで大勢の観客の前でプレーするのも初めてだったし、プレッシャーもあって、試合会場に踏み入れた途端、急に緊張してしまいました。今となっては仕方なかったのかなとも思いますけど、やはり何もできなかった悔しさはあります。でも、リオパラリンピックに出られたことで今があるのだと思いますし、良い競技環境を得て見える世界も変わりました。その中で2018年にはITTFパラ世界選手権スロベニア大会の男子シングルスで銅メダルを獲得できて。世界選手権でメダルを獲ることは目標のひとつだったので自信になりました。
障がい者という自覚のなかった少年時代
岩渕には先天性内反足という下肢に機能障がいがあり左足首を曲げられない。しかし、スポーツ好きの両親のもとで幼い頃から水泳やスキーに親しみ、球技も得意。体育の授業も難なくこなし、中学1年生で卓球を始めた。そして、当時通っていたクラブチームで中学3年生のとき、パラ卓球に出会う。
岩渕 スポーツは一通りやって、他の子たちよりできたりもしたので、自分が障がい者だという自覚はあまりなかったですね。卓球に関して言えば、自分は「前陣速攻型」といって、卓球台からあまり距離を取らず早い打点とピッチで打ち返すスタイルなんですけど、健常の右足に比べ左足は踏ん張りが利かないので、バックハンドで右から左に動かされたときがバランス的に一番苦しい。なのでそこで打ち急がずあえてゆっくりのボールを打って、自分の体勢を戻す時間を作る工夫をしています。また用具も今年4月から左足首の装具を材質の柔らかいプラスチック製から強度の高いカーボン製に替えました。カーボンのしなりを生かして跳ねるような構造になっているので、つま先に重心をかけ素早く元の体勢に戻る本来の卓球に近い動作ができるようになりました。
ひとくちに装具を変えると言っても、そこにはリスクが伴う。新たな装具を使いこなすには、そのためのトレーニングも欠かせなかった。
岩渕 装具を替えた当初は太ももの前側が張って、すごく疲れたんですけれども、体幹トレーニングによって関節の可動域を広げたり、背骨を一本一本動かすように意識したりするトレーニングに取り組んでバランス面が向上しました。今では左足でも片足立ちができるようになったんですよ。卓球ではボールを打つ際、片足立ちのような体勢になることがありますが、どんな体勢でもしっかりバランスが取れるとラケットがきちんと振れます。そこはだいぶ変わってきました。
東京パラリンピックで狙うのは「金メダル以上」
初出場のリオパラリンピックでは出場するだけでいっぱいいっぱいだった。だが次の東京パラリンピックで岩渕は勝ちに行く。その強い思いを表すのが「金メダル以上」という言葉だ。
岩渕 メンタルコーチの指導で「パラリンピックに出る」という目標では出場するだけに留まってしまうというのを聞いて、リオのときの自分は「金メダルを獲る」という目標でやっていたので、今回もそれだと弱いかもしれないと思いました。それで、その上を行く「金メダル以上」と言うようにしたんです。また金メダルの先にパラスポーツを広めたいとか、スポーツの素晴らしさを広く伝えられるような選手になりたいという思いもあって、金メダルを獲ることはそのための手段の一つ。自分はその先へ行くのだという意味を込めて「金メダル以上」と言っています。
東京パラリンピックまで約1年。2度目の代表入りを目指す岩渕に立ち止まっている時間はない。
text by Mina Takagi
photo by Hiroaki Yoda