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ブラインドフットボール
ブラインドサッカー日本代表、“アジアの試練”を経て東京へ
「戦い切りました。いまの日本代表の100パーセント、いや、それ以上を出せたと思います。それでもこうやって勝てないというのは何なのかな……」
ブラインドサッカー日本代表キャプテンの川村怜は、タイ・パタヤの夜空の下でこう言葉を絞り出した。
10月上旬、7日間にわたって行われた「IBSAブラインドサッカーアジア選手権2019」。2位以上に与えられる東京パラリンピック出場の切符をかけて8ヵ国がしのぎを削った。2020年に開催国としてパラリンピックに初出場する日本は、堅守の中国相手に準決勝で2得点を挙げ、歴史的な善戦を見せた一方、その試合のPK戦(3-2)で敗退した。
すべては東京のために~一貫したメンタルでチームを率いた川村怜
「中国やイランから得点を奪えるようにならなければ……」
4年前、リオ予選を兼ねたアジア選手権でチーム最多7得点を挙げた川村は、立ちはだかるアジアの高い壁に跳ね返されて落胆していた。だが、自国開催でのパラリンピックを前に立ち上がって覚悟を固めると、キャプテンに就任した後は、競技環境や練習量を見直した。「自分が変わることでチームに変化を」。競技に取り組む意識も変わり、世界の強豪に太刀打ちできるよう、技術はもちろんフィジカルも鍛え上げた。
アジアチャンピオンとしてパラリンピックを迎えたい――。その意志は決してブレることはなく、この4年間いろんな場面でその思いを口にしてきた。彼にとって4度目のアジア選手権となったパタヤは、選手同士の会話も増え、チームの成熟度を感じる中で迎えた。劣悪なグランド状況、雨による試合時間の遅れなど、見えない選手にとって不安になる要素も、厳しい環境で戦ってきた経験で乗り切った。これまでの悔しさが勝利への渇望をかきたてた。
予選で初対戦のオマーン相手に、川村のハットトリックを含む5得点で勝利すると、宿敵イランに0-1で敗れはしたが好守も見せた。準決勝の中国戦は、先制を許しても決して下を向くことはしない。川村はそんなチームの象徴になり、果敢に前へ。前後半2-2で引き分けた後のPK戦では日本のトップバッターを務めて決めた。「フラフラだったが、冷静に自分の間合いでボールを蹴ることができた」。魂の一撃はゴールネットを揺らしたが、結局、日本は決勝進出を逃した。
だが、試練はここで終わらない。日本は最大の目標を失った中で3位決定戦を戦わなければならなかった。雨でボールが滑る環境で、さらに相手は地元のタイと完全アウェイ戦だ。死闘を戦った翌日の日本は、高速ドリブルで駆け上がるタイに苦しんだものの、40分間耐え忍んで1-2で勝利を手にした。
「絶対に勝たなければいけなかった。僕たちには東京パラリンピックがありますから。でも、結果にフォーカスするというより、動かない体でどこまでできるかというところにフォーカスできた。本当に難しい状況だったけれど、サブのメンバー含めて全員で戦えたことが勝利につながったと思います」
試合中に何度も身体を叩き、自らを奮い立たせていたキャプテンは、大会中に一段とたくましさを増した。
7回目のアジア選手権で会心のゴール~進化を止めない黒田智成
そんな川村以上にアジアでの悔しさを知る男が黒田智成だ。アジア選手権は7度目。2007年は韓国に敗れて北京パラリンピック切符を逃し、2011年はイランに引き分けでもロンドン行き決定だった試合を落とした。2015年は中国とイランがリオへの出場権を手にしている。
「前回はアジアのチームのアグレッシブさに押されてしまったけれど、今は前から圧力をかけてくるチームにも、しっかり引いて守るチームに対しても点を取る形を複数準備している。あとは、どんな状況でも自分たちのペースで戦える気持ちが大事だと思っています」
グループリーグ3試合はノーゴールだった。それでも、大会最大の山場である準決勝の中国戦は、2ゴールと爆発した。
「これまでパラリンピックまであと一歩というところで出場権を逃してきました。だから、準決勝を突破したい気持ちが強かったですね」
2007年以降、パラリンピック前のアジア選手権では、上位2ヵ国にパラリンピックの出場権が与えられてきた。過去、中国に出場権を奪われてきた黒田の使命は点を決めることに他ならない。
会心だったのは、前半終了間近に決めた同点弾だ。対中国の陣形でトップに位置する黒田にカウンター攻撃のボールが渡り、ディフェンスを2枚かわしてシュートに持ち込むと、わずかにフェイントをかけて目の見えるGKをズラし、そのまま左足でゲットした。
「駆け引きがうまくいき、レベルの高い中国戦で自分の強みを出せたことは自信になりました」と黒田が言えば、高田敏志監督も「すべて狙い通り、相手を動かした上でどこにスペースがあるのか理解して奪った素晴らしいゴールでした。ボールへの反応が優れている中国だからこそ、試合を通して彼のクイックな動きにひっかかり、それを修正できなかったと思います」と手放しで称賛した。
黒田がこの試合に奮起したのは、2強入りにこだわったからだけではない。
グループリーグ中の2日、初代日本代表である仲間、石井宏幸さんが新宿駅の転落事故で電車に接触して命を失った。中国戦の開始直前には、追悼の意を表して黙祷が捧げられ、日本代表チームはユニフォームに喪章をつけて試合に臨んだ。
「最初に韓国との親善試合で石井さんがPKを決めたのを思い出し、中国戦ではぜひ自分が点を取って石井さんに捧げたいと思って……」
黒田は日本代表の歴史が幕を開けた17年前、石井とともに戦った唯一の現役代表選手。日本代表初めての試合で初ゴールを挙げたのは他ならぬ石井だった。さらに石井は、関西で始まったブラインドサッカーを関西に広めるなどこの競技の発展に尽力した。
「ブラインドサッカーをはじめから支え、育ててきたくれた人がたくさんいます。その人たちの想いを受け止め、今強化している全員での攻撃や長年取り組んできた守備をもっと細かなところまで磨いて世界と戦っていきます」
東京パラリンピックでは41歳になる。自国開催が悲願の舞台となる黒田はさらなる進化を誓った。
初の大舞台は涙の記憶に~16歳の園部優月
パタヤにはこれからの日本代表を担う若手の姿もあった。8月のイングランド遠征で代表デビュー。人生2度目の海外というパタヤで辛酸をなめたのは高校生の園部優月だ。
初戦でピッチに上がった後は出番がなかったが、準決勝のPK戦では4人目のキッカーに抜擢された。園部が思い切り蹴ったシュートは無情にも左のポストを弾く。その後、中国の4人目が決めて日本の敗退が決まると大粒の涙を流した。
「この会場でPKの練習をしたときにゴールの左隅に決められたので、そこを狙いました。結果的に負けてしまったのですごく悔しかった。いつもとは違う緊張感がありました」
もっとピッチに立ちたかった。でも、全てにおいて自分には力が足りない――普段は学業を第一にする園部だが、この敗戦により練習の意欲をかきたてられた。「もっと国内リーグで活躍しないと、こういう場面でプレーすることもできない。次のアジア選手権では、長い時間プレーできる選手になって必ず1点を決めたいです」
16歳。園部の涙は間違いなく日本代表の糧になるだろう。
過酷な試練を乗り越えて――。ブラインドサッカー日本代表は2020年、アジア3位という位置でパラリンピック初出場を迎える。
1位:中国 ※東京パラリンピック出場権獲得
2位:イラン ※東京パラリンピック出場権獲得
3位:日本 ※東京パラリンピック自国開催枠の出場資格獲得
4位:タイ
5位:インド
6位:マレーシア
7位:韓国
8位:オマーン
text&photo by Asuka Senaga
key visual by JBFA/H.Wanibe