「パラ陸上を始めて奇跡が起こりまくった」スプリンター石田駆は金メダルを目指して疾走中

「パラ陸上を始めて奇跡が起こりまくった」スプリンター石田駆は金メダルを目指して疾走中
2020.03.10.TUE 公開

中学、高校では男子400m走で全国大会を経験し、2018年、「日本インカレに出場したい」という夢を抱いて、愛知学院大学に入学した石田駆。だがその直後、左肩に骨肉腫が発覚し人生が一転。2018年12月にパラ陸上を始めて、東京2020パラリンピックのメダルを狙える位置まで辿りついた。「奇跡が起こりまくった」という激動の日々を振り返る。

全中とインターハイに出場

陸上選手だった父・正美さんに「駆(かける)」と名付けられた石田は、中学校で陸上部に入り、400mをスタートした。精神力を要するこの種目は意外と性に合っていた。全中を経験すると、岐阜聖徳学園高時代にもインターハイに出場。2018年春、推薦入学で入った愛知学院大では「日本インカレに出場すること」を目標に掲げ、自身の陸上人生の集大成にしたいと思っていた。

石田駆(以下、石田) 中学、高校と全国大会に出場してきたので、大学では日本インカレに出て引退したいなと考えていました。でも、大学入学後の5月に病気が分かって。練習のとき腕を振っていると、左の上腕に違和感があって変だなと思って見たら、しこりができていました。検査した結果は骨肉腫。当時は絶望感しかなかったです。両親も陰で泣いていたと聞きました。

肩まわりの筋肉を除去し人工関節を入れる手術は13時間に及んだ。幸い、腫瘍は再発のリスクが少ない珍しいタイプで切断こそ免れたが、左腕を右腕と同じように動かすことはできなくなった。

石田 陸上をやっていると……とくに400mはキツい種目だからいつ引退できるんだろうと、けっこう選手は思うものなんです。僕もそうでした。でも、いざ走れなくなるとめちゃくちゃ走りたくなって。だから一生懸命リハビリして、半年後の12月に大学の練習に復帰しました。「岐阜障がい者アスリートクラブ」に入ったのもこの頃です。

実は手術後、父は息子にパラ陸上を始めてみてはと提案していた。しかし9月、石田が初めて見たパラ陸上の日本選手権には、日本インカレに向かうような熱い気持ちは沸いてこなかった。

石田 いろんなハンディがある人がいて頑張っていました。でも、パラの大会は競技人口が少ないし、当時は自分が障がい者という自覚がなかったので、この大会に出るのはちょっと……と思いました。

だが、パラスポーツへの意識は徐々に変わっていく。

石田 「自己ベストの48秒68を出せれば、パラリンピック出場は間違いないぞ」「いま走っても日本記録が出るぞ」という周りの強い後押しのおかげで、ちょっとずつ前向きになれたんです。パラの大会に出場している中京大で池田樹生選手から国際大会に出るための情報をもらったりした影響もあるかもしれません。

普段は 愛知学院大学陸上競技部でトレーニングに励む

鮮烈なパラデビュー戦

こうして高みを目指すことを決意し、迎えた“パラデビュー戦”は2019年6月の日本パラ陸上選手権。上肢機能障がい・T46クラスの400mで日本記録50秒39をマークした。1ヵ月後のジャパンパラでも記録は伸び、100mは11秒18、400mは49秒89で日本新。驚いたのは100mで、健常時代の自己ベストを上回っていた。

石田 ありえない! という感じ。でも、同時にやっぱりスピードはついているんだと自信になりました。復帰したときから体力と筋力を戻せば、障がいに関係なくもっと走れるようになると思っていたので、いい感触を得られました。

この100mの結果は、11月のドバイ2019世界パラ陸上競技選手権の派遣記録を上回る内容で、石田を世界へ押し出すきっかけにもなった。この日を境に石田の日本代表としての自覚も芽生えてゆく。

石田 全国大会に出場しかできなかった自分が、突然、世界を目指すことになって……。自分が日本を背負うってめちゃくちゃ違和感しかなかったです。でも、ジャパンパラで東京パラリンピック出場の道も見えてきて、世界パラ選手権では応援してくれる人がいることも知りました。もう自分が目指す舞台は世界トップなんだから、ちゃんと頑張って行こうと思えるようになったんです。

その世界パラは、400mが5位、100mは準決勝敗退だった。悔しさが募るのは本業と見定めている400m。4位以内に与えられる東京パラリンピック出場の内定にぎりぎり届かなかった。

石田 ドバイで内定をもらって東京パラリンピックの金メダルにつなげたかったんですけど…。とはいえ、49秒44と記録は悪くなかったですし、東京パラリンピック出場ランキング(※)は現在5位で出場する気満々でいます。高校時代に出した自己ベスト48秒68を更新させるために頑張っているところで、いまは腕の動きには制限があるけど、下半身の筋肉を強化すれば地面からもらう力も強くなるので、記録も伸びてくると思うんです。

※2020年4月1日時点のランキング6位以内で、すでに内定している選手を除く最大上位2選手が東京パラリンピック代表に内定する。

大学時代に成し遂げたい2つの目標

もし、東京パラリンピックで自己ベストを更新できれば、メダル圏内に突入する。しかし、石田が狙うのはあくまで金メダルだ。そこにこだわるのは、大学入学当初から抱いてきた夢が、いまなお石田のなかに存在するからだ。

石田 僕の目標って、やっぱり日本インカレに出場することなんですよ。世界におけるランキング1位の選手のタイムは47秒87、日本インカレの標準記録は47秒20。だから僕は東京で彼の記録を抜いて優勝し、日本インカレの標準を突破するタイムを出したいんです。日本インカレ出場は実現させないと納得いきません。(パラ陸上で長く第一線で活躍する)山本篤さんからは「お前はそこを目指す選手になれ」と言われています。

石田にはもう大学で陸上を終わりにする考えは一切ない。夢は、神戸2021世界パラ陸上競技選手権、2024年パリパラリンピックへと続いている。石田はその激変ぶりを「奇跡が起こりまくった」結果と感じている。

石田 タイムマシーンがあったら、中学や高校時代の自分に大学生の僕はこうなっているよ、と言いに行きたいんですよ(笑)。大学1年のときに苦しい思いはするけど、そのあとは人生に思わぬ広がりがあるからなって。新しい挑戦、新しい出会い……。人は突然、病気になったり、障がいをもったりすることもあるけど、そこから変えられる人生があることを伝えたいですね。

それこそいま、石田がパラアスリートとして走る理由でもあるのだろう。徐々に石田は自分が走ることで周りに力を与えることもあると感じている。

石田 最近、中高時代の同級生などに「お前のおかげで力をもらった。ありがとう」みたいなメッセージをもらうことがあるんですよ。だとしたら、それは僕にとっての刺激でもあるし、もっと陸上競技を楽しめる理由にもなります。

パラ陸上を始めて1年あまり。パラアスリートとしての自覚も深まりつつある。スター性を秘めた原石が輝きを放ち始める日は近い。

text by Yoshimi Suzuki
photo by Hiroaki Yoda

「パラ陸上を始めて奇跡が起こりまくった」スプリンター石田駆は金メダルを目指して疾走中

『「パラ陸上を始めて奇跡が起こりまくった」スプリンター石田駆は金メダルを目指して疾走中』