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新しい地図・香取慎吾×パラ柔道。 “世界最大級アスリート”の秘密。
text by Number編集部(Sports Graphic Number)
photograph by Takuya Sugiyama
※本記事はSports Graphic Number との共同企画です。
ロンドンで金、リオで銅メダルを獲得した柔道家、正木健人。
100kg超級で東京パラリンピック出場が期待される32歳は、
日本最大級かつ迫力の肉体を持つ。そのチャーミングな素顔と、
大学時代に構築した柔道スタイルに、香取慎吾が迫った。
香取 大きい! 今までお会いしたパラアスリートの中でもダントツです。
正木 他の競技でこんな体があっても邪魔なだけですから。身長は191cm、体重は150kgちょいで、他競技の代表選手にもだいたい会ってますが、自分より大きい人には会ったことありませんね。
香取 正木選手は100kg超級ですが、世界にはもっと大きな人もいるんですか?
正木 以前はいました。リオで金メダルをとったウズベキスタンの選手は本人が195cmで160kgだと言ってましたね。正確な情報がないのですが、リオ後は引退をしたのか、今は大会に出てきていません。
香取 じゃあ世界最大級の体をもつパラアスリートですね。でも、その肉体を保つのは大変じゃないですか? 食べようと思っても食べられない選手もいると聞きます。
正木 太りやすい体質で、食べたらほとんど吸収しているんだと思います。普段は1日にご飯を6合食べるんですが……。
香取 6合?
正木 今は4月の国際大会に向けて減量をしたいので3合に抑えてます。
視力はその時々で変動するが
香取 もっと食べたいのに抑えてる?
正木 はい。基本は自炊をしているのですが、6合が1日に食べるお米の量としては一番ちょうどいいと感じています。
香取 ちょうどいい、の感覚が全然わかりませんね(笑)。パラではクラス分けも重要ですが、柔道も分かれているんですか?
正木 3つのクラスがあります。全盲がB1、弱視も視力や視界の広さによってB2、B3に分かれていて、僕は大会ではB2と認定されることが多いです。ただし、試合はすべてのクラスをまとめてしまいます。
香取 あ、そうなんですね。正木選手はどれくらい見えているんですか?
正木 視力はその時々で変動するのですが、0.05くらい。柔道で組み合う距離でようやく顔がわかる程度なので、こうやって3mくらい離れてお話をしていると顔が全然わかりません。先ほど道場で組ませてもらったときに初めて香取さんの顔が認識でき、「あ、テレビで見ていた方だ」と急に緊張してきました(笑)。
少しでも視力がある場合だと……。
香取 なるほど。光は感じますか?
正木 はい。でも眩しさが苦手で、太陽や蛍光灯、それに光が壁や床に反射してくるのもチカチカする。本当はサングラスをしてちょうどよいのですが、まぁ生まれたときからこの状態なので慣れました。
香取 見えないと、聴覚などほかの感覚に頼ろうとするといいますよね。
正木 はい、視覚障がいがある人は、声で他人が誰かを認識することが多いのですが、僕は中途半端に視力があるので、どうしても「見よう」としてしまう。香取さんが以前取材されたパラ柔道の永井(崇匡)は全盲で両目義眼ですが、耳がすごくいいし、空気の跳ね返り方やオーラで人を見分けたりする。後ろに立っただけで「正木さんですか?」と声かけてきますから。
全盲の選手は反応が0.1秒くらい遅れる
香取 すごい。でもそうやって能力が違う3つのクラスの選手が一緒に試合をするわけですよね。ぶっちゃけ、分けたほうがいいと思ったことはありますか?
正木 正直いうと、それは思いますね。
香取 思うんだ!(笑)
正木 いま話に出た永井はパラ柔道の日本代表のなかでも一番運動神経がいいと思いますが、その彼でさえ僕らが技をかけ、それを「受けよう」としたときの反応が遅い。僕の感覚では全盲の選手は0.1秒くらい遅れます。特に止まった状態からの技がかかりやすくなってしまう。僕も目隠しをして柔道をしたことがありますが、動きながらだと相手が技を仕掛けてくるのが予想できるのに、組んで静止していると相手の動きを感じとりにくいので予想が難しい。細かい点が勝負を左右するので、全盲と弱視は分けたほうがいいかな、と。
香取 ブラインドサッカーの選手と対談をしましたが、彼らは条件を平等にするため全員アイマスクをしますよね。
正木 柔道もそうすべきだと思います。
香取 パラスポーツはルール変更も多いので、改善されていくといいですね。
正木 ただ、現時点では世界を見渡しても競技人口が少なく、僕の100kg超級は世界大会で20人程度。クラスを分けるのは現実的ではないのかもしれません。
五輪を目指していた選手がパラに。
香取 いまパラ柔道のレベルはあがっているんですか?
正木 自分の階級では、ロンドンパラ後に何人か強い選手が急に出てきて、リオ後に全体的なレベルがあがりました。世界ランキングだと僕はいま実質的に3番手です。他国だとオリンピックを目指していた選手が落選してパラに回ってきたりもしますね。
香取 ロンドンがきっかけなんですね。他の選手からロンドンパラは素晴らしかったという話を何度も聞いたのですが、初出場だった正木選手はいかがでした?
正木 正直にいうと、普通の地方の大会に出場する……という気分だったんです。
香取 えっ、どうしてですか?
正木 当初、大学を卒業したら警察官か刑務官になろうと思って試験を受けたのですが、視力検査で落ちてしまって。そこであん摩マッサージ指圧師の国家資格をとろうと通った盲学校でパラ柔道と出会ったんです。そして’11年に世界大会に出ると優勝、その次の大きな大会がたまたまパラリンピックだったんです。どういう大会かほとんど理解せずに「出られるから出た」というか。僕は無名だったのでロンドン前は取材も一度しか受けたことがありませんでした。
「やらされている」から一転。
香取 それで金メダルですか!
正木 ただ、ロンドンオリンピックに天理大の先輩である穴井隆将さん(現・天理大柔道部監督)が出場されていて、同じ会場で試合ができるのは嬉しかったです。
香取 金メダルをとると周囲の見方もガラッと変わったんじゃないですか?
正木 生活が180度変わりました。それまでは人前で話をするのも苦手だったのに、講演会やイベントに呼ばれたり、テレビに出たり。そんな生活を半年くらいして初めて「俺がやったことって凄いことだったのかな?」と思い始めて(笑)。そこで柔道に対する意識も変わりました。学生時代はきつい練習を「やらされている」という感覚だったのに、リオでもう一度金メダルをとるという目標ができ、自発的に強くなりたいと思うようになった。ただ、リオは負けちゃったんですけど。
香取 銅メダルでも十分すごいですが、正木選手はあまりパラリンピックを意識しないほうがいい気がしますね。
正木 そうかもしれません。
苦手意識のあるイラン選手。
香取 今年の東京パラでライバルになりそうな選手はいますか?
正木 ライバルというか、苦手意識を持っている相手はいます。これまで2戦2敗のハムザ・ナドリというイランの選手です。
香取 アスリートの苦手意識というのが僕にはわかりにくいんですけど、実際に組んでみて伝わってくるものなんですか?
正木 その選手は体は細いんですが、身長が僕より高く、手足が長い。だからいわゆる「間合い」が広いし、懐も深いんです。
香取 なるほど、組み合っても腕が長いと技をかける感覚も変わりそうですね。
正木 僕が技に入っても相手との間に隙間ができて届かないんです。技のかけ方には2つのタイプがあって、現役時代の井上康生さんのように瞬発力でスパッと懐に飛び込んでいくタイプと、相手を引き寄せて自分の体を懐に入れていくタイプ。僕は後者ですが、隙間ができると技がすっぽ抜ける感じがあり、相手に技を返されやすくなってしまうんです。それにナドリ選手の柔道が、いわゆる「勝ちにいく」柔道なんです。
柔道に「型」がないんです。
香取 どういうことですか?
正木 一本を狙っていくのではなく、抜け目なくポイントを稼いだり、反則を狙ったりしてくる。こちらの焦りをうまく利用してくるタイプで、柔道に「型」がないんです。だから対策を立てづらくて。
香取 対戦相手がいる競技の難しさですね。練習で対策を練るにしても、健常者でも同じタイプの選手もいないでしょうし。
正木 そうなんですよ。
香取 パラリンピックまで半年を切りましたが、いまの調子はいかがですか?
正木 去年は、怪我を繰り返してしまい、お祓いにいったほうがいいかなって思った時期もあったんです。その影響もあって50%というのが正直なところ。ただ、僕は性格上、時間がなくなって初めてやらなければいけない、という気持ちになるので。
香取 いいですね、僕と同じですよ(笑)。ドラマや映画のセリフは現場に入ってから覚えるんです。事前に一度は台本に目を通しておくけど、セリフを暗記するのは撮影当日。毎日その日にやる最初のシーンを覚えて、そのシーンを撮っている最中に次のセリフを覚えるんです。「なんでそんな短時間で覚えられるんですか?」と驚かれるけど、だって覚えないとダメだから。
正木 わかります、その理屈。僕も今から追い込んで、半年でグッとあげていきます。
篠原さんや大野選手のように。
香取 合宿で追い込んでいくんですか?
正木 代表合宿もありますが、一番追い込む時期は母校の天理大にもいこうと思っています。若い後輩たちは遠慮なくガシガシ攻めてきますし、天理の柔道スタイルがパラのルールと相性がいいんです。というのも、パラ柔道は互いに組み合った状態からスタートするのですが、天理柔道の伝統もしっかり組んでから一本を取りにいくというもの。歴代の選手をみても篠原信一さんや穴井さん、現役ではリオ五輪73kg級で金メダルをとった大野将平選手もそうです。僕がパラに転向した当初、得意技の払い腰や大外刈りで圧倒的に勝てたのも天理柔道のおかげだと思います。ゴチャゴチャしないで組ませてもらえるので「ありがとうございます」という気持ちでした(笑)。
香取 そうするとオリンピックの試合よりも一本勝ちが多くなりそうですね。
正木 その通りです。リオでは自分の階級は16試合中13試合が一本勝ちでしたし、柔道の魅力がより伝わると思います。だから東京でも全試合一本勝ちで金メダルをとりたいのですが、それ以上に終わった後に「やり切った」と思えるようにしたい。リオでも直前はかなり追い込んだし、試合ではベストを尽くした。それでも「もっとできることがあった」と悔いが残ったんです。
香取 大舞台では全力を出すことも難しいけれど、全力を尽くした状態のさらに上を目指すということですよね。
正木 先ほど名前を挙げた大野選手は本当に侍みたいなヤツです。昨年までは天理大をベースに練習していたので、身近に見て、話を聞いていても、スケールの大きな「高み」を目指している。それが後輩なのにとてもかっこよかった。自分も柔道に対する理想は高いほうだと思うので、結果だけでなく、粘りやあきらめない気持ちを含めた執念を試合で出していきたいです。
香取 お話を聞いていたら、東京で勝利を飾った正木選手が拳を突き上げる瞬間を見ながら、すごくいい笑顔をしている自分が想像できました(笑)。期待してます。
正木健人 Kento Masaki / Judo
1987年8月9日、兵庫県生まれ。先天性の弱視だったが中学で柔道を始め、強豪の天理大学へ進学。国家資格取得のために通った盲学校でパラ柔道に出会い、’11年の世界大会で初優勝して頭角を現した。191cm、150kg。
香取慎吾 Shingo Katori
1977年、神奈川県生まれ。今年の元旦にソロアルバム『20200101』をリリース。2017年から現代アーティストとしても活躍し、2月に青山学院大学で幅11.5m、高さ2.5mの巨大壁画「Be the Difference アート」を披露。
本連載は約2カ月に1度の掲載、次回は5月7日発売号の予定です。