ハリウッドの新常識「インクルージョン・ライダー」がスポーツ界にも!
これまでに“インクルージョン・ライダー”というワードを一度でも耳にしたことがあるだろうか。人種差別に抗議する運動「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」の世界的広がりにより、日本はおろか本国アメリカでも数年前までほとんど知られていなかったハリウッドの新しい条項“インクルージョン・ライダー”の真価が、今まさに問われる事態に陥っている。“インクルージョン・ライダー”とは一体何なのか。今回は、米国ロサンゼルスを拠点に活動する映画監督兼映画ライターの小西未来さんに“インクルージョン・ライダー”の正体と社会に与える影響について話を聞いた。
ハリウッドスターのわがまま条項が、アメリカ社会の常識を変える?
第90回アカデミー賞授賞式でオスカーを獲得したフランシス・マクドーマンドは、スピーチの最後に「今夜、みなさんと一緒に残したい2つの言葉があります。“インクルージョン・ライダー”」と言ってステージを降りた。あまりにも耳慣れない言葉だったため、直後から“インクルージョン・ライダー”の検索数やツイート数が急増したという。一体、“インクルージョン・ライダー”とは何か。小西さんに教えてもらおう。
――― “インクルージョン”は「社会の包摂性」、“ライダー”は「付加条項」という意味で使われていますが、“インクルージョン・ライダー”とはどういうものなのでしょうか。
映画スターは契約するときに「自分の控え室は他の出演者よりも大きくする」とか、「控え室には○○を常に用意しておく」とか、映画作りとはあまり関係ないことを契約条件に追加することがあるんですよ。それがライダー。言ってしまえば、スターのわがままですが、雇う方は何がなんでも契約したいから要求を飲むじゃないですか。そうやって俳優が強い立場であることを利用して、現場のインクルージョン(多様な人を受け入れる包摂性)を保つように要求することがインクルージョン・ライダー(包摂条項)です。これまでのハリウッドはキャストも製作スタッフも多様性に乏しく、作品で描かれるのは、白人しかいない街とかLGBTqが存在しない学校とか、実際とはまるで違う世界ばかり。そんな映画づくりに異議を唱えるといった意味でもインクルージョン・ライダーの存在は大きいと思います。俳優に限らず、監督やプロデューサーなど、有利な立場にある人が交わすことも可能です。
アメリカでは、障がいのある人も含め、あらゆる人を平等に雇用するために企業側が独自の基準を設けていることが一般的なんですけど、インクルージョン・ライダーは雇用される側から要求を押し付けるという新しいタイプの試みですね。
――― インクルージョン・ライダーの多様性の中には、どんな人が含まれるのでしょうか。
インクルージョン・ライダーを使用する人が希望さえすれば、誰でも。障がいのある人も含まれるはずです。また、多様性はキャストだけでなくスタッフにも求められます。
――― 実際にインクルージョン・ライダーは使用されているのでしょうか。
マイケル・B・ジョーダンが主演作『黒い司法 0%からの奇跡』(2020年2月日本公開)の契約の際に使用しました。他にも、俳優のベン・アフレックとマッド・デイモンが共同で設立した製作会社でも採用されていますし、映画『キャプテン・マーベル』でMCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)史上初の女性単独主演を果たしたブリー・ラーソンも積極的に取り入れています。まだまだ少ないのが現状ですが、俳優兼プロデューサーとして活動している人や、意識の高い人気俳優が率先しているような印象ですね。
映画に多様な人が当たり前のように登場すれば、みんなの価値観も変わる
――― そもそもなぜインクルージョン・ライダーが必要なのでしょうか。
先ほども話に出ましたが、大きな理由は、物語の中で実世界を反映していないことだと思います。これまでの作品は、原作の設定を変えたり配役をホワイトウォッシングしたり、白人を偏重視することが多かったですよね。でも、各スタジオは差別主義という訳ではなくて、あくまでも“映画製作=ビジネス”なので、より多くの興行収入を得られるものを作っているだけ。今までのヒット作と違うことをすると、観客にウケないんじゃないかという先入観があり、白人偏重が慣例化していたようです。
しかし、近年は原作にほぼ近いかたちで映画化した『クレイジー・リッチ!』や『ブラックパンサー』が大ヒットして、どんな作品が観客に受け入れられるかを製作陣も理解しはじめた。
インクルージョン・ライダーを強引に押し付けることで、今までの予定調和でないものができ、それがヒットすれば、製作側が自らインクルーシブを取り入れるようになる。あくまでもインクルージョン・ライダーは多様性のあるコンテンツを生み出すための過渡的なもので、インクルーシブが当たり前になれば必要なくなるものだと思っています。
――― 日本自体はもともと多民族国家ではないので、日本映画の製作において人種の多様性は少ないかもしれません。ただ、LGBTqや障がいのある方々が普通に登場するというイメージはないですね。
そうですね。だからといって、マイノリティと呼ばれる人を作品のメインキャストにしたら、視聴者は物語と関係ないことばかりをフォーカスするし、作る側もお涙ちょうだい的な話にしたくなりますよね。
でも、僕はもっといろいろな人が登場してもいいと思うんです。映画って究極の共感体験ができるものじゃないですか。実生活でまるで縁がないような人たちの悩みや生活を理解して感動できるんだから、マイノリティと呼ばれる人が演じることで観客の意識を変えていくことができるかもしれない。それに、多様な人が出ている方が作品自体にも彩りが加わって豊かな物語になると思うので、まずは、サブキャラ的な役でもいいからマイノリティが演じる作品が増えていったらいいんじゃないかな。
アメリカも同性愛がタブーとされていた時代があったんですが、サブキャラにクィア(性的少数者)が登場するようになって視聴者も少しずつ慣れていったんです。もちろん今でも否定的な人はいるけど、ピクサー・アニメーション・スタジオが同性愛者の男性を主人公にした短編「Out(原題)」を発表するなんて、昔では考えられなかったと思いますよ。
BLM運動をきっかけにインクルージョン・ライダーの真価が問われる
――― 今後、インクルージョン・ライダーを使用する人は増えそうですか?
正直なところ、最近は少し下火になっていたところだったんですが、今年、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、低所得者層の黒人が失業したり亡くなったりしたところに、ミネアポリスで武器を持たない黒人男性が白人警官に拘束されて亡くなる事件が起きた……。本当にこのままでいいのだろうか、どうすれば世の中を変えられるのかという意識が広まる中で、現状に疑問を感じているスターたちがインクルージョン・ライダーを使用することは大いにあり得ると思います。
――― インクルージョン・ライダーが「Black Lives Matter」運動の流れを変えるひとつのきっかけになるということですか?
アメリカではこれまで何度も同じような事件が起き、その度に激しい抗議活動が行われてきましたが、なかなか変わらないと感じています。この国に根付いてしまった“人種に基づく不公正”は、政治を変えなければ解決しないところまできているのに、残念ながら政治も変わる気配がない。でも、権利を行使できる立場にある人や影響力のある人が率先してインクルージョン・ライダーを使用すれば、雇用の機会も映画で描かれる景色も変わると思うんです。
――― 映画でリアルを投影した世界が描かれれば、観る人の意識が変わるということですか?
そうです。自分と違うものに所属する人を理解するきっかけになると同時に、自分自身を見つめ直すきっかけにもなります。英語だと「Representation(代表する、代弁する、象徴する)」と言うんですけど、自分と同じような人が映画に出ている、同じような境遇が描かれているというだけですごく勇気をもらうことがある。そういう作品を増やしていくためにもインクルージョン・ライダーは効果的だと思います。
インクルージョン・ライダーが求める多様で包摂的な考え方は、性別、人種、ジェンダー、障がいの有無、宗教など、あらゆるものに適用される。このムーブメントに賛同したイギリスのロックバンド「The 1975」のマシュー・ヒーリーは、今後出演するすべてのフェスの契約書にインクルージョン・ライダーを加えることを表明。2016年のリオデジャネイロオリンピック・競泳競技で、アフリカ系アメリカ人女子初となる金メダルを獲得したシモーネ・マニュエルも、昨年水着メーカーと契約した際にインクルージョン・ライダーを使用した。このように、映画業界から各方面に広がりつつあるインクルージョン・ライダーが、人々の意識を変えるきっかけになることは間違いないだろう。そして、いずれはインクルージョン・ライダーを使わなくとも、一人ひとりの違いを認め、多様性を受け入れられる世界になってほしいと願わずにはいられない。
PROFILE 小西未来
1971年生まれ。立教大学文学部および南カリフォルニア大学映画学部を卒業。ハリウッド外国人記者協会所属の映画ライター・映画監督であり、コラムニストやリポーターとしても活躍中。ロサンゼルス在住。
text by Uiko Kurihara (Parasapo Lab)