脳の引き出しを増やす! 3歳〜6歳までに必ずさせておきたいこと
ある調査によると、日本の子どもは「運動をする子」と「運動をしない子」の二極化が進んでいるという。子どもの中には運動が苦手な子もいるから仕方ないという見方もあるだろう。しかし、その苦手意識を生み出しているのが、幼児期の運動量に関係しているとしたら? そしてその苦手意識が老後の健康に影響するとしたら? 人生100年時代といわれる今、健康で長生きするために知っておきたい幼児期の運動の重要性について、早稲田大学スポーツ科学学術院の川上泰雄教授に伺ったお話を2回にわたってご紹介する。
筋肉の有効活用には、2つの力を鍛える必要がある?
「運動」と聞くと、体を動かし、筋肉や心肺を鍛えることをイメージする人が多いだろう。実際トップアスリートと呼ばれる人たちは、過酷な訓練をして体を作り上げていく。しかし、その訓練で鍛えているのは体だけではない。
「筋肉を動かすには、筋肉そのものによる出力と、それをコントロールする神経系の制御能力の両方が必要です。人間の筋肉は骨格筋だけで約600個もありますが、日頃あまり運動をしていない人は、この600個の筋肉をうまく使うことができていません。一方でアスリートはこの600個の筋肉中から、必要な時に必要な筋肉を収縮させて使うことができます。それは、そういう筋肉の動きを制御する神経系のプログラムが脳にできているからです」(川上教授)
たとえばジャンプをする場合、足やお尻、膝の筋肉が必要だが、より高く飛ぶには、各筋肉の力をそれぞれ最適なタイミングで出力する必要がある。そのタイミングの微妙な組み合わせをコントロールするのが脳にできたプログラムなのだ。つまり、運動パフォーマンスを上げるには、体そのものを鍛えると同時に、体を動かすために最適な指示を出すプログラムを脳内に作る必要があるということだ。
脳の引き出しを作りやすいのは、3歳から就学前の幼児期
アスリートは繰り返しトレーニングをすることで、どの筋肉をどのタイミングで、どんな速さで動かせば最高のパフォーマンスができるかというプログラムを脳内に作り出している。しかし、それには過酷なトレーニングが必要だ。ところが、3歳から就学前の子どもの場合は、アスリートのような激しいトレーニングをしなくても、このプログラムの基礎となるものを作ることができるのだという。
「幼児期の子どもの脳は可塑性があるので、走る、投げる、蹴るといった基本的な運動を適切に行うことで、さまざまな動作に関する『引き出し』を脳内にたくさん作ることができるんです。たとえば、かけっこやスキップを一生懸命やった子どもは、脳内にそうしたプログラムが自然にできるので、小学校に入って体育の授業で走る時に、その引き出しからプログラムを取り出してさまざまな走り方に対応することができます」(川上教授)
“可塑性”とは、個体に外から力を与えた時に形が変化し、その後力を加え続けなくても元に戻らない性質のことをいう。つまり、運動に関するプログラムは一度脳内にできれば、成長してからもそれを脳が記憶し続けるということだ。
正しい指導が重要だが、やり過ぎは禁物
幼児期の運動の重要性がわかったところで、気になるのはその方法や頻度だが、川上教授は身近なところで興味深い体験をしたと言う。
「私の息子が1歳8ヶ月の時に、特に教えてもいないのに上手にボールを投げたんです。『お、やるじゃん』などと言って、それを動画に収めたのですが、後日同僚のお子さんがボールを投げている動画を見て愕然としました。うちの子どもが、ただ手でボールをポンと投げているのに比べ、同僚の子どもは肩を回し、きちんと体重移動をして体全体でボールを投げていたんです。実はその同僚は学生時代にアメフトの選手でした。彼が適切な指導をしたので、子どもは幼くてもボールの正しい投げ方を会得したんですね。このように、動作を作り上げるための脳の可塑性が高いというのが幼児期の特徴です。ですから幼児期に運動をするか、さらにはいい指導を受けているかどうかで、大きくなってから差が出てきます。小学校や中学校に入ってから挽回しようとしても、もう別の引き出しが脳にできてしまっているので、正しいプログラムに作り替えるのは難しいと思います。上手な動きになるために余計な時間がかかってしまうのです」(川上教授)
幼児期に正しい指導をすれば、それが体を動かすプログラムとして脳の引き出しの中に蓄積され、将来的にそのプログラムを取り出して使うことができるというわけだ。ただ、やり過ぎは禁物だと川上教授は過度な指導に警鐘を鳴らす。
「幼児期の子どもの体は発達途中で成長段階にありますから、筋肉も発達していませんし、関節構造も脆弱です。ですからたとえば小さいうちから、特定のスポーツをやらせて過度に練習をしすぎると、筋肉や骨、靱帯などに負荷がかかってケガや故障の原因になる可能性があります」(川上教授)
幼児期の運動は技術を究めることではなく、あくまでも脳の引き出しを増やすことが目的だ。そこで、子どもの脳の引き出しを増やすには、以下の点が重要になる。
- 走る、飛ぶ、投げる、蹴るといった基本動作を意識的に行わせる
- できれば、「正しい」動作を見たり体感したりする機会を設ける
- 特定の運動を集中的にやるのではなくバランスよく行わせる
- 子どもがやる気をなくさないように、楽しみながら運動させる
- 無理をさせない
こうした幼児期の運動が、小学校に入ってから行う跳び箱や縄跳び、徒競走や球技といった、さまざまな運動をするための準備になるという。体育の授業が苦手だったという人は、もしかすると幼児期にこの準備ができていなかったのかもしれない。
かつて日本の子どもたちは、外で元気に遊びまわり、走ったり、飛んだり、蹴ったりといった動作を自然に行っていた。しかし、現代の子どもたちはさまざまな事情から、体を動かす機会が減っている。それは同時に脳の引き出しを作る機会が減っていることでもある。子どもたちが将来、健やかに生きていくためにも、ぜひ意識的に体を動かす機会をたくさん作ってあげて欲しい。
一方で、幼児期に運動をせず脳に十分な引き出しを作ることができなかった場合は、もう手遅れなのだろうか? 第二部ではコロナ禍における運動不足がもたらす危機と、誰でもできる健康寿命を延ばすためにできることについて解説する。
PROFILE 川上泰雄教授
1988年、東京大学卒業後、同大学院修了。東京大学教養学部助手、同大学大学院生命環境科学系助教授、早稲田大学スポーツ科学部助教授を経て、2005年より早稲田大学スポーツ科学学術院(スポーツ科学部・大学院スポーツ科学研究科)教授。2017年から、早稲田大学重点領域研究機構ヒューマンパフォーマンス研究所所長、2020年に早稲田大学総合研究機構長に就任。人間の身体の形状と機能の関連性について、生体計測を中心とした研究している。またiPhoneアプリ「メタボウォッチ」(無料)を開発し、日本人の生活習慣と体形、認知機能の関係を探る研究も行っている。
この記事の<第二部>はこちら↓
運動不足だと1日で2年分の筋肉が落ちる? 自粛生活での行動が分かれ道
https://www.parasapo.tokyo/topics/30566
text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
photo by Kazuhisa Yoshinaga,Shutterstock