日本のパラスポーツの聖地「太陽ミュージアム」で考えるパラリンピック開催の意義
2021年に予定されている東京パラリンピックは、同一都市として初めて2回目の開催を迎える。
1度目の開催は1964年。
以前から障がい者のための国際大会は行われていたが、「パラリンピック」という名称が初めて使われたのがこの57年前の大会である。オリンピックの後、5日間にわたってアーチェリーや卓球など9競技が実施され、21ヵ国から378人が集った。日本選手も53人が出場を果たしている。
障がい者スポーツの発展に尽力した中村裕博士
その東京パラリンピック開催の立役者となったのが、日本の“障がい者スポーツの父”と呼ばれる故・中村裕(なかむら ゆたか)氏。強い信念の持ち主として知られ、1961年に大分で日本初の身体障害者体育大会開催を実現させた。翌年にはパラリンピックの前身であるストーク・マンデビル大会への日本選手派遣を実現させたことで、国内の障がい者スポーツへの認識を広げるきっかけをつくり、1964年の東京パラリンピック開催を提唱した人物だ。準備にも奔走した東京パラリンピックでは、日本選手団の団長を務めている。
中村裕博士(1927~1984)とは?
大分・別府の整形外科医。留学先のストーク・マンデビル病院国立脊髄損傷センターで、「パラリンピックの生みの親」であるルードヴィッヒ・グットマン博士の下、スポーツを積極的に取り入れたリハビリテーションの導入と、患者の社会復帰を支援する医師らの取り組みを学んだ。帰国後は、就労を通じての身体障がい者の自立支援とスポーツに情熱を注ぎ、1965年には「太陽の家」を創設。日本を代表する企業と共同出資会社をつくることで、多くの障がい者雇用を実現した。また、1975年に始まったフェスピック大会(現在のアジアパラ競技大会)、1981年から始まった大分国際車いすマラソン大会の創設に尽力した。
東京2020大会開催の是非が問われている今だから考えたいパラリンピック開催の意義とは何か。日本の“障がい者スポーツの父”が創設した社会福祉法人「太陽の家」の資料館「太陽ミュージアム」を訪ねた。
JR大分駅から電車に乗って約20分の亀川駅。そこから約5分歩くと、あたり一帯が太陽の家だ。2020年7月、障がいのある人たちが就労する事業所、スポーツセンター、温泉、スーパーマーケットなどが集まる敷地の一角に「太陽ミュージアム」はオープンした(新型コロナウイルス感染拡大の影響で2020年12月より新規見学受け入れは一時休止中)。貴重な資料やさまざまな体験を通じて、パラスポーツの歴史はもとより、中村氏が唱えた「No Charity, but a Chance!(保護より機会を)」の精神を肌で感じられる場所となっている。
挑戦の歴史を感じる展示エリア
東京パラリンピックで日本選手団団長を務めた中村氏。当時の日本人が抱いていた障がい者のイメージを覆す、明るくアクティブな海外選手に対し、多くが仕事を持たず、大会後は療養所に戻っていく日本選手の姿を複雑な思いで見たという。その後の数々の経験から、障がい者は仕事を持ち自立することが最も重要だと考え、東京パラリンピック翌年の1965年、障がい者が働く「太陽の家」を創設した。
ミュージアムでは、障がい者の生活や仕事をサポートする道具やパラスポーツで使用する用具の体験を通じ、「できない」を「できる」にしていく工夫やユニークなアイデアに触れることが可能だ。
車いすの試乗もできる体験ゾーン
障がい者が普通に仕事をすることが難しく、スポーツをすることが考えられなかった時代、その考えを変えるきっかけをつくったのが1964年の東京パラリンピックだった――太陽の家の歴史、そして中村氏について学ぶことで、1964年の東京パラリンピックが日本の社会に残したインパクトを感じることができるだろう。
そして、2021年の夏。東京パラリンピックが開催され、パラアスリートが晴れ舞台で躍動する姿を目にする人たちに、今度はどんなインパクトを与えるのだろうか。
■案内してくれた人 太陽の家・広報課 宿野部拓海さん
(パラ卓球選手)
<太陽ミュージアム~No Charity, but a Chance!~>
所在地 | 大分県別府市大字内竈1393-2 |
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電話番号 | 0977-66-0277 |
開館時間 | 10:00~16:00 |
休館日(※) | 日曜日(年末年始、夏季休暇、そのほか指定日あり) |
入館料金 | 小学生以下無料 中高生100円 大学生・専門学生以上300円 |
ホームページ | http://www.taiyonoie.or.jp/museum/ |
※お出かけの際はホームページで、受け入れ状況を事前にご確認ください。(2021年2月17日現在、新型コロナウイルス感染拡大の影響で新規見学受け入れは一時休止中です)
text by Asuka Senaga
photo by X-1