新しい地図・稲垣吾郎×パラバドミントンの世界女王・鈴木亜弥子と元野球少年の新鋭・梶原大暉が語る「ホームの緊張感」とは?

新しい地図・稲垣吾郎×パラバドミントンの世界女王・鈴木亜弥子と元野球少年の新鋭・梶原大暉が語る「ホームの緊張感」とは?
2021.04.19.MON 公開

text by Number編集部(Sports Graphic Number)
photograph by Takuya Sugiyama

※本記事はSports Graphic Number との共同企画です。


バドミントン一筋を貫き、世界を制した経験も持つ女子のエースと、驚異的なスピードで成長を続ける元・野球少年。 2人とともに試合の緊張感を語り合う中で、稲垣吾郎が発見した「役者とアスリートの共通点」とは?


稲垣吾郎(以下、稲垣) 僕、中学のとき半年ぐらいテニス部に入っていたんです。だからラケットを持つと懐かしい気持ちになりますね。鈴木選手はいつバドミントンを始めたんですか?

鈴木亜弥子(以下、鈴木) 本格的に始めたのは小学3年生の頃です。両親がバドミントンをやっていたので、自然な流れで地元・埼玉のジュニアチームに入りました。

稲垣 ご両親もプレーされていた?

鈴木 部活で出会って結婚したそうです。母が地域のバドミントンチームでプレーするときに私も一緒に体育館へ通っていたので、幼稚園ぐらいの頃にはラケットを握って遊んでいました。姉も小さい頃からプレーしていましたし、私だけやらないという選択肢はなかったです。

稲垣 バドミントン一家なんだ。他にスポーツ経験はありますか。

鈴木 全然ないですね。私が小さい頃はまだパラバドミントンは普及していなくて、健常でプレーしていました。その流れで大学3年生のときにパラへ転向したという経緯なので、バドミントン一筋です。

稲垣 なんだか華道や茶道の“家元”みたい(笑)。梶原選手はどうですか。

梶原大暉(以下、梶原) 僕は中学2年生のときに交通事故に遭って車いす生活になったんですが、それまでは小3からずっと野球をしていました。バドミントンは高1からですね。

“東京”から始まる新競技

稲垣 野球のポジションは?

梶原 ピッチャーです。全国大会にも出たことのあるクラブチームでエースナンバーをもらったんですが、事故に遭って投げられませんでした。その入院中に、ソーシャルワーカーの方がパラスポーツをいろいろ紹介してくれたんです。そこでバドミントンがパラリンピックの正式種目に採用されると知って。

稲垣 へえ! まだ新しいんですね。

鈴木 東京大会から加わる新競技なんです。

稲垣 テニスは昔からあるのに、意外です。じゃあ、まだみんなやってないから……。

鈴木 簡単そうだと思った?(笑)

梶原 そんなことはないですけど……(苦笑)。シャトルを打つのと投球は動作が似ているので、ピッチャーの経験を活かせるんじゃないかなとは思いました。

稲垣 ピッチングはボールを外に払うように、腕を内旋させて投げるんだよね。腕が硬い人は外旋しちゃうって、ゴルフで教えてもらいました(笑)。ゴルフも、肘から下を柔らかく使うのが大事なので。

梶原 投球では手のひらが体の内側に向いていると怪我につながるので、外へ弾く感覚は意識していました。

鈴木 バドミントンだと、上から腕を外旋させて打つことも多いです。でも状況に応じて、ラケットの面をわざと外に向けてシャトルの回転を変えたりもします。内外の打ち分けもテクニックのひとつですね。

稲垣 そうやって打ち方にバリエーションをつけられるということは、やっぱりみなさん肘の下が柔らかいんでしょうね。他に野球の動作が役に立ったことはありますか?

梶原 コーチからは、「フライを捕るときの空間を把握する力が活きてるんじゃない?」と言われます。

鈴木 あー、わかる気がする。

稲垣 確かにフライの捕球は難しそうだな。距離感とか、なかなかイメージが湧きません。でもそう考えると、バドミントンにはスムーズに馴染めたんじゃないですか。

梶原 いやいや、ほとんどやったことがなかったのもあって、こんなに難しいんだと驚きました。車いすも、初めて競技用に乗ったときは動きが良すぎて制御ができなくて。見学もさせてもらったんですが、本当に車いすに乗ってるのかなと思うぐらいスピードを出すんです。自分にできるのかなと不安でしたね。

鈴木は「2手先」、梶原は「勘」

鈴木 地元で始めたの?

梶原 はい。福岡にパラバドミントンのチームがあって、偶然家からも近かったのでそこで教えてもらいました。始めたての頃はラケットにシャトルが当たらないし、当たっても飛ばないし……。

稲垣 バットに120kmとか130kmのボールを当てるのとはまた違うんですか?

梶原 全然勝手が違います。あと、戦略を考えるのは今でも難しいですね。

稲垣 シャトルの滞空時間も結構長いから、考えることも多そうです。ラリーがどう続くかも、数手先まで読んでいたりするんですか?

鈴木 私は自分が打ったところから数えて2手先ぐらいまでですね。

梶原 僕は読みというより、勘に頼っている部分が大きい気がします。

日本選手権は2連覇中

野球の経験を生かしてメキメキと力をつける梶原大暉 ©︎Takuya Sugiyama

稲垣 梶原選手がバドミントンを始めたのが2017年。そこからメキメキと頭角を現し、日本選手権は’19年から2連覇中です。飛躍のきっかけは何だったのでしょう。

梶原 一番大きいのは、’18年に国際大会デビューを果たして、世界のトップ選手を間近で見れたことですね。自分はまだまだだなと気が引き締まりましたし、それと同時に打ち方や車いすの動かし方、戦略などを生で見て感じられたのが良かったです。

稲垣 実際に戦ったんですか。

梶原 はい。あと、世界選手権を4連覇している韓国のキム・ジョンジュン選手が決勝戦に残っていた大会では、その試合をずーっと見ていました。

稲垣 それは強敵ですね! 東京大会が延期になったのは残念でしたが、そういったライバルとの差を縮めるチャンスだと考える選手もいます。

梶原 僕もそう思います。去年の時点では世界トップの選手にはまだ届かないと思っていたので、準備の期間ができたという点ではプラスに捉えられています。

稲垣 鈴木選手は’09年の世界選手権で優勝後、一度引退されていますよね。絶頂期とも言えるタイミングで、なぜ引退を決断されたんですか。

鈴木 パラリンピックの競技になかったことは大きかったですね。世界選手権で金メダルを獲って、それ以上がないなら、もういいかなと思ったんです。だから復帰も、’13年に東京パラリンピックが決まってからすぐに決めました。

稲垣 そのブランクを取り戻すという意味で、鈴木選手にとっても延期は悲観することばかりではないような気がします。

鈴木 延期はもちろん残念ではあったのですが、私も良い機会だなと。特に’19年は1カ月に一度海外で試合をしていて、あまり集中してトレーニングができなかったんです。反対に去年は1試合も国際大会には出場できなかったので、自分の課題としっかり向き合うことができました。

稲垣 ただ、どうしても試合勘なんかは鈍くなってしまいませんか。

鈴木 だからこそ本番前に一度は大会に出たいなと思っています。独特な緊張感にも慣れておきたいですし。

稲垣 どのスポーツでも、試合になると空気がピリッとしますね。

鈴木 はい。あの雰囲気、結構好きです。

稲垣 緊張感が気持ちよくなってくると無敵ですよね。僕らの仕事でもそうですけど、慣れすぎて緊張しなくなってくると怖い。もちろん固くなりすぎると上手くできなくなりますし、ちょうど良いベストなパフォーマンスを披露できる度合いがある。舞台では特にそういうのを感じます。

2009年世界選手権で金メダルを獲得した鈴木亜弥子 ©︎Takuya Sugiyama

「日本だと絶対優勝しています」

鈴木 ベストな緊張感に持っていくための秘訣はありますか? ぜひお伺いしたくて。

稲垣 舞台の仕事は周りが雰囲気を作ってくれる部分も大きいかな。もちろん自分でもイメージや役作りは必要だけど、世界観に引き込んでくれる共演者がいたり、セットがあったり。あと、お客さんが緊張してるんですよね。

鈴木 お客さんが?

稲垣 たとえば、僕が年末年始にかけて舞台『No.9』で演じたベートーヴェン役は、冒頭で暗闇からコツコツ歩いて登場するんです。そこで観客席の方を見るとシンとした空気が伝わってきて、お客さんもすごく緊張してるな、と感じました。それが何度も演じている僕らの空気を新鮮なものに戻してくれたり、反対に冷静になれたり。アスリートの方も、お客さんは重要って言いますよね。

鈴木 スポーツでもお客さんが「負けないでほしい」と緊張していて、その空気感が私たちを冷静にしたり、力を与えてくれるところがあるのかもしれません。そういえば、私は一番のライバルである中国の選手と戦ったとき、海外の試合だと負けるんですけど、日本だと絶対優勝しています。

稲垣 アウェーの試合ってやっぱりしんどいんですか? サッカーとかでは、観客のヤジが飛び交っていたりします。

鈴木 パラだからかもしれないですけど、ヤジとかはないですね。良いプレーをしたら、敵味方関係なく拍手が起こります。でもホームだと応援してくれる方の数が圧倒的に多いので、それが大事なのかな。

稲垣 僕らもお客さんがいなかったら絶対にできないなと思います。これだけ長く芸能界にいると緊張感とか必要ないでしょって言われることもありますけど、ドラマとか生放送、歌や芝居はやっぱり緊張しますよ。それが気持ちいいんですけど。

鈴木 梶原くんはあんまり緊張とかしない?

梶原 いや、めちゃくちゃします! 試合前も固くなっちゃって、ダブルスでペアの村山(浩)選手に「固いぞ」って言われたり……。

鈴木 明らかに緊張してるんだ(笑)。

稲垣 その緊張を越えたベストゲームはありますか?

梶原 ’19年に日本で開かれた大会で、先ほど名前を挙げたキム選手と対戦したときですね。初めて1セット獲れたんです。そのときは結構グッと試合に入れたような気がしました。あ、僕も日本ですね。

稲垣 緊張の他にももう一つ、役者とアスリートに共通するんじゃないかなと思ったことがあります。さっき出てきたベートーヴェンの役は、僕の素の性格とは真逆なんです。情熱的な音楽にも現れているように、彼は常に怒っているし、暴れまくる。周りの人を振り回しながら、それでも天才として音楽を作っていくんですよね。こういう自分とは絶対的に違う人間を演じるのって、自分の新たな一面を発見できることもあってすごく楽しい。おふたりは試合のとき、違う自分がいる感覚はありますか?

梶原 違う自分かはわからないですけど、ヨシ! って吠えてたりはします。無意識に。

鈴木 私は後から試合の動画を見て、「めっちゃ頑張ってるな」って思うことがありますね(笑)。

稲垣 いつもの自分と違うでしょ? こんな顔した覚えはないというか。

鈴木 覚えはないですね。

稲垣 僕らも同じです。後から映像を見返すとびっくりしますし、恥ずかしいです。でも、本番では信じ込んでなりきってるんですよね。スポーツでも、自分がどう見えるかを考えながら動く選手は強いですよね。会場を巻き込んでいく感じ。

梶原 確かに、僕もあんまり小さくはならないように胸を張ったりしていますね。弱々しく見えてしまう気がするので。

鈴木 私は淡々としているかも。あ、でも、’19年に国際大会のシングルスで優勝したときに、テレビカメラに向かってピースしたことはありました。普段はそんなこと全然しないんですけど、喜びが爆発して。

稲垣 じゃあ、本番ではピースも見どころですね。本番で金メダルを獲ったら、ダブルピースでお願いします!(笑)

ラケットを持つと中学のテニス部時代を思い出すと楽しむ稲垣吾郎 ©︎Takuya Sugiyama

鈴木亜弥子 Ayako Suzuki / badminton
1987年3月14日、埼玉県生まれ。SU5クラス。先天的に右腕が肩より上がらない障がいがある。高3時の全日本ジュニアで2位。’07年にパラへ転向し、’09年世界選手権で優勝。’10年に引退、’15年に現役復帰し、’17年世界選手権は金。

梶原大暉 Daiki Kajiwara / badminton
2001年11月13日、福岡県生まれ。WH2クラス。中2で交通事故により右脚を切断。高1からパラバドミントンを始め、’19年、’20年の日本選手権を連覇。’19年のデンマーク国際では国際大会初タイトルにして単複2冠を達成した。

稲垣吾郎 Goro Inagaki
1973年、東京都生まれ。出演するNHKドラマ「きれいのくに」が4月12日放送開始。4月から公演予定の主演舞台『サンソン-ルイ16世の首を刎ねた男-』ではフランス革命期の死刑執行人、シャルル=アンリ・サンソン役を務める。

本連載は約2カ月に1度の掲載、次回は2021年5月20日発売号の予定です。
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<過去記事>はこちら↓
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