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陸上競技
選手の体の一部として記録向上を支える! 陸上競技用車いす「レーサー」進化の歴史
まるでモータースポーツのような迫力とスピード感が魅力の陸上競技の車いす種目。記録の向上にはアスリートの身体能力だけでなく、車いす側の進化も欠かせない。例えば1988年のソウルパラリンピックの400mでの優勝タイムは59秒02(クラス:4)だったが、20年後の北京パラリンピックでは45秒07(T54)まで短縮されており、アスリートの努力と用具の進化が合わさったことによる結果といえるだろう。レーサーと呼ばれるこの競技用車いすの進化について、陸上競技選手としてアテネ大会とロンドン大会の2度パラリンピックに出場し、オーエックスエンジニアリングで開発にも携わっていた花岡伸和さんに聞いた。
競技用車いすの“素材”も進化
第1回大分国際車いすマラソンが開催されたのは1981年、当初はまだ生活用の車いすがほとんどだった。その後、ハンドリム(※1)が小さく、軽さを意識した競技用車いすが開発される。
競技用車いすが4輪から3輪になったのは80年代の後半になってから。フレームの素材はクロモリと呼ばれる鉄が主流だった。
その後、フレーム素材はより軽量なアルミが主流となり、90年代にはカーボン製も登場。軽いだけでなく、振動吸収性にも優れたカーボン製のフレームは、とくに長距離を走る競技では大きな効果を発揮した。
素材だけでなく”フレーム形状”も進化
進化したのはフレーム素材だけではない。フレームの設計も、クロモリ時代の細いパイプを組み合わせた形状から、太い1本のパイプを使ったものに進化した。
フレームの長さも、選手によって好みが分かれる部分のよう。その長さに合わせてフレームのどの部分で選手の体重を受け止め、分散させるかなど設計も異なってくるという。
効果の大きかった”ホイール”の進化
当初はスポークホイール(※2)だった車輪も、90年代前半にはカーボンコンポジット(炭素繊維強化炭素複合材)のスポーク本数が少ないものに。そして90年代中頃にはカーボンのディスクホイール(円盤状のホイール)へと進化した。
カーボンディスクホイールのメリットは、軽量で空気抵抗が少ないことというイメージがあるが、競技用車いすの場合、むしろホイールが一体となっていて剛性が高いことのほうが大きなメリットだとのこと。2つの車輪が横に並んでいる車いすの場合、ディスクホイールはトンネル構造になるため空気抵抗はむしろ大きくなるのだとか。
※2 スポークホイールとは、車輪の中央に向けて何本も細いワイヤーが張り巡らされたホイールの種類。フレームの進化で”漕ぎ方”も変わる
フレームがアルミからカーボンに進化したことで、選手の漕ぎ方も変化。
逆に体をダイナミックに動かし、1回ずつの漕ぎに力を込めるタイプの選手の中には、カーボンフレームが合わず、力の逃げにくいアルミ製に戻す人も。花岡さんもカーボンフレームに変えて直線でのスタートはうまくいかないと感じたこともあるとか。微妙な力のかけ方が違ってくるよう。
“ポジション”はミリ単位で調整する
選手が乗るポジションも進化を続けているポイントだ。当初は生活用の車いすと同じく足を前に出すスタイルだったが、90年代頃から正座のように、ひざを下にするポジションに。障がいの程度によって、個人差がある部分でもある。
1999年の大分国際車いすマラソンで1時間20分14秒という今でも続く世界記録を樹立したスイスのハインツ・フライはひざの位置が高かったことから、一時期は多くの選手がそのポジションを真似たとか。
選手とレーサーが一体となって初めて生まれる好記録。その裏にある、用具の進化に注目してみてはいかがだろうか。
■教えてくれた人 花岡伸和(はなおか・のぶかず)
1976年大阪府生まれ。高校3年生のときにバイク事故で脊髄を損傷し、車いす生活に。1994年、競技として車いすマラソンを始める。2002年にトラック1500m日本記録、フルマラソン日本最高記録を樹立。2004年アテネパラリンピックに出場、マラソン(T54)で日本人最高位となる6位に入賞。2005年〜2011年までオーエックスエンジニアリングに勤務。2012年のロンドンパラリンピックに出場した後、第一線から退き、後進の強化育成に務める。2013年より日本パラ陸上競技連盟副理事長。
text by TEAM A
key visual by X-1