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新しい地図・香取慎吾×パラサイクリング 遅咲き50歳エースの“前向きすぎる”生き方に香取もビックリ「寿退社で去るのカッコいいかなって」
text by Number編集部(Sports Graphic Number)
photograph by Takuya Sugiyama/Asami Enomoto
※本記事はSports Graphic Number との共同企画です。
20代でフルマラソン、30代はトライアスロン。連載最終回のゲストは、大怪我を経てなお挑戦を続け、 今大会代表の座を掴んだ50歳だ。香取慎吾が思わず絶句した、前向きすぎるその生き方とは——。
香取慎吾(以下、香取) 今回はこの連載の最終回なんですが、初のリモート取材です。杉浦さんはベルギーでのW杯から帰国されたばかりだとか。
杉浦佳子(以下、杉浦) はい、このコロナ禍の中でも、海外でレースに参加できたのは本当にありがたいことでした。大会中も、帰国後もPCR検査ばかりで鼻が痛いですけど(苦笑)。
香取 最近は自転車が趣味という人も多いですよね。数年前にドラマ『家族ノカタチ』で演じた主人公も、自転車が趣味だったんです。ロードバイクに乗ったり、ビールを飲みながら部屋に飾ってある自転車を眺めるのが至福のときという役でした。杉浦さんはどんな種目に出場されるんですか?
杉浦 パラサイクリングは室内の「トラック」と屋外の「ロード」に分かれ、さらにその中にいくつか種目があります。東京パラでの出場種目は、内定をいただいた私もまだ決まっていないのですが、トラックのタイムトライアル(TT)と個人パーシュート、ロードのTTとレース、計4種目に参加する心づもりで練習を重ねています。
香取 こういう自転車ってお高いですよね?
杉浦 例えば、本体(フレーム)だけでレース用だと30万円以上して、数百万するものもありますね。ただ、単に高ければいいというわけではなく、選手のこだわりや特性、体格に合わせてミリ単位で調整することでタイムを縮められるんです。
香取 “機材スポーツ”ですね。自転車を運ぶ時にぶつけたりしちゃったら大変。
杉浦 なので、運ぶときは専用のボックスに入れて、パーツもひとつずつ包んで、傷つけないように運んでもらっています。
きっかけは近所の自転車ショップ?
香取 自転車乗りにはいわゆる“メカ好き”も多いと思いますが、杉浦さんも自分でいじったりするのは好きなんですか。僕の友達、ご存じかと思いますが、オートレースをやっている森且行は乗り物をいじること自体も好きみたいです。
杉浦 全く違います。前にホイールを新しいものに付け替えてもらったとき、ギアも重くなっていたのですが、何も気づかなくて。坂を頑張って上っていたら、コーチに「何か気づかない?」と言われて、「何も」と。それぐらいメカのことは分かりません。普通はメンテナンスも自分でするんですけど、私は自分でやって壊しかけたことがあって、もう触るなって言われてます(笑)。
香取 そもそも、自転車を始めたきっかけは何なんですか?
杉浦 昔から年代ごとにスポーツを一つ頑張ろうと思っていて、20代のときにフルマラソンを完走したんです。30代はトライアスロンかなと思っていたら、ちょうど近所に競技用の自転車のショップができて(笑)。
香取 すごい偶然!
杉浦 その自転車ショップで知り合った人がたまたまトライアスロンの指導の資格を持っていらっしゃって、その方に練習メニューを組んでもらったらどんどん自転車のタイムが上がっていった。それでレースに出てみたら、事故にあってしまったんです。
香取 初めてのレースだったんですか?
杉浦 2度目でした。1回目は参加してる人が少なかったので優勝できたんですけど、2回目に出てみたら速い選手がいっぱいいて、一生懸命そこに付いていった途中で転倒してしまったんです。
香取 事故のあと、もう一回自転車に乗ろうってすぐに思えたんですか。僕だったら、怖くなっちゃいそう。
杉浦 よく聞かれるんですけど、転んだときの記憶が全くなくて。レースが始まる前に友達と頑張ろうねと言い合っていたところが事故前の最後の記憶です。病院でも自覚がなくて、身体に繋がっていた管を全部抜いて、ICUから抜け出したようで。
香取 えーー!
杉浦 「宮古島までトライアスロン大会に行かなきゃ」って言って倒れてたそうです。その時の記憶も全くないんですけど(笑)。
香取 じゃあ恐怖を克服とかじゃなくて、記憶がないから事故前の続きで今も乗ってるんですね。今も自転車はお好きですか?
杉浦 帰国後の隔離中なので、今日で5日間自転車に乗っていないんですけど、こんなに乗らないのは復帰してから初めてかもしれない。ちょっと気持ち悪いです。
香取 それはアスリートだから? それとも好きだからこその感覚ですか?
杉浦 うーん……たぶん“仕事”と同じだと思うんです。仕事が嫌だなと思っても基本的に毎日行くし、もしクビになったらすごく悲しいじゃないですか。私は毎日コーチから練習メニューをもらうんですけど、それがなくなったら何をしたらいいかわからないかもしれない。もちろんオフは嬉しいですけど、毎日毎日だと絶対に辛い。私にとっての日常というか、居場所ですね。
香取 今、その辛さを味わってるんですね。
杉浦 手元に自転車がないので、さっき仰っていたドラマの主人公じゃないですけど、飾って見るぐらいはしたいな(笑)。
自転車の一番の魅力とは?
香取 僕、自転車の魅力が全然わかっていないんですけど、何がグッとくるんですか。
杉浦 ……本当に苦しい時はやめたいって思います。でも、それを乗り越えたときの達成感が一番、かな。なかなかできなかった練習、例えばトラックを「19秒5以内で12周」というメニューを設定通りこなせたときの気持ちよさは何にも代えがたい。香取さんもダンスとか、そうじゃないですか?
香取 そう! 今まさにダンスを思い出していました。4月に明治座で1カ月間初めてのソロ公演をしたんですけど、1時間半、踊りも歌も一人だからずっと自分の番なんですよ(笑)。グループのときは、1フレーズ歌うと自分の番まで休めたけど、そうはいかない。笑顔で歌いながらも必死で、マイクを捨ててしまいそうなギリギリのところで、最後の決めポーズをした瞬間の気持ちよさがきっと今杉浦さんの言ってた達成感なのかなって。日々の公演が終わってスタッフとお疲れさまって交わすときとか。
杉浦 わかります! スタッフとの関係も、自分を競技に繋ぎとめてくれているものですね。私は特に遠征での飲酒は禁止なんですけど、世界選手権で優勝した帰り、スタッフが「俺の作ったバイクでアルカンシエル(優勝者に与えられるジャージ)を獲ってくれるなんてこんな嬉しいことはない! 栄養士には俺が言うからこれを飲め!」ってビールを奢ってくれたことがあって(笑)。喜んでくれているんだと嬉しかったです。
香取 4種目でパラリンピック出場に向けて準備しているとのことでしたが、一番メダルの手応えがあるのはどの種目ですか?
杉浦 うーん、正直読めないですね。2年近くレースがなくて、今回のベルギーのW杯も出ていない選手がいるので。しかもパラリンピック前なので、ライバルが本当に全力で走っていたのかも……あえて遅くしたんじゃないかと疑ってるんですよね。
香取 そういうことってあるんですか?
杉浦 過去にはあったそうです。ただ、私自身は今年、例年だとまだ調子が上がらない4月にトラックの自己ベストを更新できました。ロードもベルギーで自己ベストを更新したので、昇り調子かなと思っています。だからどれもメダル圏内……ってコーチが言ってました(笑)。
香取 事故の後遺症である右半身の麻痺は、今どの程度まで回復しているんでしょう。
杉浦 右手はかなり回復していて、お箸や筆記用具は普通に使えます。ただ、動きがちょっと遅くて、握力も左手の半分程度とパワーがあまりないので、自転車のブレーキはかかりが悪いですね。だから左右のブレーキを通常と入れ替えてもらっていて、右は握力が弱くても支障のない後輪のブレーキになっています。
香取 麻痺がある場所は、リハビリやトレーニングで回復していくものですか?
杉浦 たとえば右腕だと、私の場合、腱は切れているし、骨も部分的に足りないし、脳の指令もうまく伝わらないはず。それなのに現状では肩上まで腕が上がって、理学療法士の方からすると信じられないそうです。壊れた脳の神経は治らないので、新たなシナプスができて新しい回路で筋肉を動かしてるんじゃないかと言われました。今まで使っていなかった細胞が、トレーニングを積んで繋がったんじゃないかと。
トライアスロンで世界を狙う?
香取 じゃあクラスも変わりますよね?
杉浦 はい。パラサイクリングは障がいが重い方から順にC1〜C5のクラスに分かれていて、私は初めはC2でしたが、今はC3。もうちょっと右足がうまく動かせるようになればC4になる可能性もあります。
香取 色んなパラアスリートとお話ししてきて、クラス変更でメダルの可能性が大きく変わると聞きました。身体の機能が回復するのはもちろんいいことですが、大舞台での「結果」との間で葛藤はありますか。
杉浦 障がいが軽いクラスほど、より速いタイムが求められるのは事実です。でも、そうやってC4になってC5になって、さらに健常者になったら、私はトライアスロンで世界を狙おうかなって(笑)。
香取 ……マジで?
杉浦 もしC5を“卒業”できたら、パラサイクリングは「寿退社」(笑)。それがカッコいいかなと思ってます。若手に負けてとか衰えて引退とかじゃなくて、寿退社で去るのカッコいいかなって。
香取 そういう人って他にいるのかな。
杉浦 股関節の障がいの方だと、動きが良くなってパラに出場できなくなった選手もいます。私は薬剤師をしていたんですけど、事故で絶対に仕事には復帰できないと言われていたんです。でも、同じような脳の障がいから復帰した女医さんがいると聞いて俄然やる気になって、一度は薬剤師に復帰できた。そういうストーリーって希望を与えられるんじゃないかなって。今のコーチも私が健常者になってやめるんだったら喜んでくれると思いますし。
香取 すごいなあ。すごく前向きですね。
杉浦 えっ、めったにそうやって褒められないので嬉しいです! 普段は基本ネガティブで、事故で死にかけたあとも、なんで生き返ったんだろうって思ったりした。でも、ある日、ふと河原に咲いてた花を見たら元気をもらえた感覚があって……これ今日絶対にお伝えしようと思ってたんですけど、日本財団パラリンピックサポートセンターにある香取さんが描いた壁画を見た時も、その花と同じように生きようって思えたんです。
香取 ああ、すごく嬉しいです。
杉浦 質問もいいですか? 芸能人ってたくさんいらっしゃいますよね。特に香取さんは周囲に名だたる先輩がいて、後輩も下からどんどん出てきて、グループ内でも競争意識があったと思うんです。その厳しい世界でどうやって自分を見失わずにいられたんだろうって。私なら、この人に勝てないから無理だって諦めちゃうかもしれない。
香取 難しい質問だけど、でも、自分たちに与えられた仕事や時間を100%でクリアしていくのに必死で、下からとかライバルとかって考える暇がなかったのかもしれない。グループのときも、新しい道を歩き出した3年半前も、そして今もそうだから、気づいたらずっと必死なんですよね。常に追われるように今日を乗り越えて、気づいたら次の日の大変さがやってくるから、他の人のことまで考えられない。お客さんに対しても必死だからこそ伝わるものがあるし、力の入れ方がわからなくて伝わらないこともあった。
だから、いっときも気を抜いていられない。杉浦さんの話にも繋がるんですけど、生きなきゃいけないんですよ。辛くて苦しくてしんどいときもあるけど、生きなきゃいけない。這いつくばってでもしがみついてでも。そんな思いが爆発してるのがあの壁画なのかもしれないなぁ。
杉浦 あぁ、なるほど。
香取 あと、周りの人に恵まれてるのは大きいな。人との出会いとか縁に支えられて、それがあるから生きられているのかな。
杉浦 さっき寿退社したいって言ったんですけど、私としてはパラリンピックのゴールテープを切ったあとに、ありがとうございましたってお世話になった方々に頭を下げて感謝を伝え、有終の美を飾りたい。東京大会の開催に賛否ある状況なのはわかります。でも開催されるのであれば精一杯やらせていただくし、もし開催されないのであれば、次のパリまで頑張って、頭を下げたいって今は思っています。
香取 東京大会は僕らにとっても大切だし、これをきっかけに日本社会の意識が変わると思って応援をしてきました。選手のことを考えると開催して欲しいけど、杉浦さんから「次」という言葉を聞けてゴールはひとつじゃないかもしれないなって。
杉浦 嬉しいです。でも、今は夏の東京を目指し、全力で練習していきますね。
杉浦佳子 Keiko Sugiura / Cycling
1970年12月26日、静岡県生まれ。’16年に自転車レースで転倒し、高次脳機能障がいと右半身麻痺が残る。’17年にパラサイクリングに転向すると’18年のW杯で完全制覇を達成し、日本人初のUCI年間表彰を受賞。4月に代表内定。
香取慎吾 Shingo Katori
1977年、神奈川県生まれ。最新曲「Anonymous(feat.WONK)」のCD+DVDが5月19日より3万9000枚限定でリリース。7月には、’18年末に発表され好評を博した三谷幸喜作・演出のミュージカル『日本の歴史』の再演が控える。
Sports Graphic Numberと共同企画として立ち上がった本連載は今回で最終回となります。
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<過去記事>はこちら↓
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