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陸上競技
車いすで走る喜びを実感! 横須賀で第18回全国車椅子マラソン
毎年冬の訪れとともに開かれる車いす陸上大会がある。横須賀市追浜地区を舞台にした「日産カップ追浜チャンピオンシップ」だ。2000年のスタート以来、18回目を数えた今年は、12月1日から3日間の日程で開かれた。
日常用車いすでも参加できるユニークな大会
日産カップは3日間のシリーズ開催が特徴で、1日目は地元小学生らを対象とするトップ選手による講義と車いすの実車体験からなる車いす体験交流会、2日目は初心者も参加できる記録会、3日目は追浜駅前を発着点とするロードレースが行われる。
なかでも、主催する日産自動車の追浜工場内のテストコース「グランドライブ」で行われる2日目の記録会はユニークだ。実施される3レース(2.5km、5km、10km)とも健常者も参加できる。とくに2.5kmレースは競技用車いす(レーサー)でなく、日常生活用車いすなどで走れるので、誰もが気軽に挑戦できる。車いす陸上の入口にもなり、実際これまでにパラリンピックなどで活躍するような選手も多数輩出している。
今年も12月2日、3レース合わせて約160人が参加。北風に負けず、懸命に車輪を漕ぎ、それぞれのゴールにたどり着いた笑顔の選手たちからは、「楽しかった」「来年も出たい」といった達成感あふれる声が聞かれた。
アスリートとしての第一歩を後押し
もうひとつ2.5kmレースの上位入賞者から毎年数名にレーサーがプレゼントされるのも大きな特徴で、この受賞をきっかけに陸上競技を本格的に始め、この大会をステップに大きく育つ参加者も多い。レーサーは高価なため、最初は借り物で走る選手がほとんどだが、自分の身体に合ったレーサーを使うことで実力も伸びやすい。
長年、賞品スポンサーを務めるのは化粧品メーカーのワミレスコスメティックスと車いすメーカーのオーエックスエンジニアリングで、「子どもたちが夢をもって頑張る姿や笑顔が喜び」(ワミレス)、「将来性ある選手の第一歩の後押しができるのがやりがい」(オーエックスエンジニアリング)と、その意義を語る。
この日、10kmレースを制した鈴木朋樹もそのひとりで、小学生の頃に初出場し、レーサーを受賞。今夏は世界パラ陸上競技選手権大会でファイナリストになるなど、世界でも活躍する選手だ。賞品のレーサーは成長期だったため、数年で乗れなくなったが、障がい者スポーツセンターに引き取られ、貸し出し用として活躍しているという。
鈴木は、「この大会は僕の原点。レーサーをもらっていたなかったら、陸上を続けていたかわからない。子ども用のレーサーがこういう形で増えれば競技のすそ野も広がる。いい循環になっていると思う」と話している。
今年、レーサーを手にしたのは2名。14歳の酒井健汰さんは先天性の疾病により、幼い頃から車いす生活を送るが、初出場で2.5km男子ジュニアの部を12分53秒で制した。「陸上教室で1年間練習してきた。目標は日本代表。世界と争える選手になりたい」と目標を口にした。
もうひとりは2.5kmを11分24秒で走り、一般男子で優勝した22歳の佐々木凛平さんだ。スポーツ中の事故で脊椎を損傷し、現在はリハビリの終盤だという。今大会が初レースだったが、「本当は総合優勝も狙っていたので、最後に抜かれて悔しい。本格的に陸上をやりたいと思っていたので、レーサーをもらえて嬉しい。これからしっかり練習したい」と意気込んでいた。
パラリンピックに7大会出場し、今年、現役を引退した車いす陸上のレジェンド、永尾嘉章さんは2006年に初出場以来、選手として裏方として日産カップに関わってきた。「緊張の面持ちで初レースを完走して、翌年アスリートの顔になって戻ってきてくれる子も多い。成長する姿には頼もしさを感じる」。自身に続くパラリンピアンのより多くの出現に期待を寄せる。
生活の励みにもなる大会の存在
大会はまた、車いすで走ることを楽しみ、交流する場にもなっている。バスケットボールやテニスなどの競技用車いすでチームメイトと参加する人や、健常者も参加できるので、車いすユーザーの子どもと「かけっこ」を楽しむ親など思い思いのスタイルで参加できるのも人気の秘密だ。「1年の練習の成果を記録として残しておける大会。毎年の目標」「速くて全然追いつけないけど、一瞬でもトップ選手と走れるのは嬉しい」など連続参加する理由もさまざまだ。
53歳の持田義孝さんは5年前に仕事中の事故で車いす生活者になってから出場して3年になる。「今年はちびっ子にも抜かれたし、順位は年々落ちている。でも、年1回の目標ができ、生活の励みになっている」と喜ぶ。
都内の特別支援学校から参加した、小学4年の坂下ひまりさん、福田百希さん、小学2年の勝田凛華さん、吉田喜咲さんの4人組は、昨年初挑戦した友人の「楽しかった」という声に刺激され、今大会の出場を決意。毎朝、学校の校庭で練習を重ねた成果を発揮。「緊張したけど、楽しかった」「いつかもっと長いレースも走ってみたい」と達成感あふれる笑顔を振りまいた。沿道から見守った家族は、「2.5kmは長いかと思ったが、挑戦させてよかった」「健常のお兄ちゃんやお姉ちゃんと一緒に走れて、いい経験になった」と感慨深げな様子だった。
この日、おそらく誰よりも注目を集めたのは最終ランナーとなった特別支援学校2年の櫻井操斗さんだ。残り500m辺りから自然発生した「アヤト」コールの中、並走する教員の三浦佐斗志さんとともに粘り強くゴールを目指し、一漕ぎ一漕ぎ約2時間かけて2.5kmを走り切った。「すごく楽しかった。完走が目標で、応援が力になりました」
筋肉が次第に硬直する進行性の難病を患い、車いす生活を送るが、憧れの今大会に向け練習を重ねたという。初出場で完走を果たした充実の笑顔に、大きな拍手が送られた。
同カップは障がい者との交流や理解促進や、初心者やジュニアクラスの競技者としての育成などさまざまな意義をもつイベントとして地域に定着。追浜地区の四大行事の一つにも数えられているいう。
10年ほど連続参加するパラリンピアンの中山和美は今年も前日の体験交流会から参加。「車いすについての理解を深められる機会もある、貴重な大会」と話す。
日産の社員をはじめ、地元住民やボランティアの大学生など多くの人の熱意にも支えられ、続けられてきた。日産自動車追浜工場総務部の菅隆部長によれば、「参加者の笑顔が励み。大会運営をきっかけにパラリンピックを応援するようになった社員も多い」など関わる人の意識にも変化が見られるという。
車いすレース大会は道路規制や安全な走路の確保といった課題もあり、減少傾向にある。しかし、今大会は競技のすそ野を広げ、頂点を高くすることにも貢献している。貴重な大会のひとつとして今後も継続されることを期待したい。
text&photos by Kyoko Hoshino