-
- 競技
-
車いすフェンシング
エペ準々決勝で敗退の日本のエース、車いすフェンシング・櫻井杏理を突き動かすもの
「すべては必ず勝つために」。東京2020パラリンピックでの活躍を胸に、日本を飛び出した車いすフェンシングの櫻井杏理。彼女の心を突き動かしてきたのは、勝利を追い求める純粋な気持ちだ。
フェンシングが盛んなヨーロッパに移り住む行動力
「日本国内には同じように戦える女子選手がいなくて」。
櫻井は、日本人コーチ山本憲一氏を頼り、かねてから武者修行に訪れていたロンドンへ単身向かった。そして2018年9月からは所属企業の全面バックアップのもと、ロンドンに拠点を完全に移し、地元のフェンシングクラブ「レオンポール」で車いすフェンシング漬けの毎日を送っている。そしてその生活は、今年で丸3年を迎えようとしている。
パラアスリートの中には、海外リーグに挑戦する選手や、練習環境を海外に求める選手は多い。しかし、長期にわたって完全に拠点を海外に移す選手は、水泳のパラリンピック金メダリスト鈴木孝幸や車いすバスケットボールの香西宏昭など数えるほど。長期にわたり海外で練習するということは、かなりの覚悟がいるなか、すべては競技レベルの向上のためと、思い切って日本を飛び出した櫻井は、高い行動力の持ち主と言える。
渡英する前から英語もコツコツと習得してきた。かつて勤めていた会社が外資系で外国人の顧客も多かったため、そのころから勉強を始めていたと言い、ロンドンに来てからは英会話をマンツーマンで習ったり、学校に通ったりしてさらに語学力を高めてきた。ロンドンがすでに彼女のホームとなっていることはSNSから見て取れる。
東京大会延期を機に下したある決断
彼女の行動力のすごさは渡英だけではない。抱えていたケガに対する決断にも表れている。
櫻井はここ数年、何度か選手生命が危ぶまれるような状況に立たされていた。脊髄の感染症の再手術のため2017年12月から2018年4月末まで入院。体に埋め込んでいた器械により体がアレルギー反応を起こしたため、新しいものに替えなければならず、皮膚移植を伴う10時間を超える大手術になった。また、2019年はもともと抱えていたケガに苦しめられた。そして決断したのが再生医療だったという。
再生医療は非常に有効な治療法と言われているものの、保険が適用されるものは限られているため、一般的ではない。活用するのは有名スポーツ選手など限られているというのが現状だ。
櫻井は悩んだ末に決断し、2020年3月に自己多血小板血漿注入療法および脂肪幹細胞移植術を受けた。治療後約3ヵ月は絶対安静を強いられ、コロナ禍で東京大会が1年延期になったとはいえ、剣を握ることができないつらい日々となった。
ブログにこうつづっている。
「なぜそこまでするのかと問われれば、答えはただ一つです。『最後に必ず勝つため』です。そのために多くのことを犠牲にしてきました。そもそもそのために一人で異国の地に拠点を移し、競技に集中する環境を選択しました」
サウスポーで挑んだ初パラリンピック
そして迎えた東京パラリンピック。26日に行われた女子エペ個人(カテゴリーB)では、4勝を挙げるも、準々決勝で敗れた。準々決勝の相手となったビクトリア・ボイコワ(RPC) は、今年7月のワールドカップで対戦し、敗れている相手だ。
驚くべきことに、櫻井は1年前、右腕の靭帯を痛めたことから、利き手である右利きの構えから左利きの構えにスイッチした。ボイコワは櫻井のスイッチを知る相手でもあった。リーチの長いボイコワに対して、櫻井は果敢に攻める。しかし、一瞬早く相手の剣が届いてしまったり、カウンターを狙われたりと、結果的には3-15の大差で敗れ、エペ個人のメダルはかなわなった。
「自分の強みは、右利きの動きを知っている左利きということだと思っている。でも、このレベルの選手になると、みんな(左利きに対する苦手意識がなく)左利きの相手にも慣れていて、このレベルにしっかりと勝てないとメダルには手が届かない」
必勝を掲げ奮闘してきた日本のエースは、メダル獲得を見据えてまだ進化を続ける。
text by TEAM A
photo by AFLO SPORT