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ブラインドフットボール
「誰が相手でも絶対逃げない」ブラインドサッカー・佐々木ロベルト泉の強さ支える宮本武蔵へのあこがれ
「ニッポン!」
選手がピッチに整列し、君が代が流れ終わると、フィールドプレイヤーの佐々木ロベルト泉は必ず大声で叫ぶ。自分やチームを、そして日本全体を鼓舞するかのような叫びがこだまする。
東京2020パラリンピックの5人制サッカー(ブラインドサッカー)。パラリンピック初出場の日本は、予選リーグ(8月29日~31日)初戦となるフランス戦を4-0で快勝したが、続くブラジル戦では0-4と完敗した。中国戦で引き分け以上なら準決勝に進むことができたが、中国はブラインドサッカーではアジア最強。その壁は厚く、0-2で敗れ予選敗退が決まった。
しかし選手たちの東京大会はまだ終わっていない。最後の順位決定戦が残っている。その試合の鍵を握るのが、強靭なフィジカルを持ち味とする佐々木のディフェンスだ。
大事故で眼球失うも、格闘技経験が脳を守った
佐々木のフィジカルの強さはどこで培われたのだろうか。
佐々木は1978年ブラジル生まれ。長野県出身の両親を持つ日系2世の父親と、ポルトガルからブラジルに移住してきた母親のもとに生まれた。16歳で父を亡くし、家計を助けるため1997年2月に来日。工場などで働き、母に仕送りを続けていた。
交通事故は、夜勤に向かう途中で起きた。心臓に穴が開くほどの重傷で、身体の至るところが骨折。心臓の手術が優先されたため目の手術は間に合わず、炎症を起こした両目の眼球は摘出するしか選択肢が残されていなかった。
2週間以上も生死をさまよい、目を覚ますと目の前が真っ暗。最初は「UFOに捕まって実験台にでもされているのか」と思ったという。
事故当時、佐々木の顔は車のハンドルにのめり込んでいた。医師らは目よりも脳へのダメージによる後遺症を心配したが、視覚障がいにとどまった。これについて佐々木は、「格闘技で首などを鍛えていたおかげで、筋肉がクッションになってくれた」と説明している。
「戦士みたいに、死ぬか、生きるか」
格闘技を始めたきっかけは宮本武蔵へのあこがれからだった。来日後に、剣道、合気道、柔術、総合格闘技、カポエイラに親しんだ。剣道を始めてからは、師範のおかげもあって、以前は荒かった気性も落ち着いた。
その道場では、大小の刀を使った練習をしており、まさにあこがれていた二刀流の宮本武蔵と同じ。宮本武蔵のどんなところにひかれたか聞くと、「力があり、誰とでも戦い、逃げないところ」と挙げた。
佐々木は以前、試合に臨む気持ちを「相手を殺すつもりで行く。戦士みたいに死ぬか生きるかの戦い」と表現した。気迫あふれるプレーはまさに宮本武蔵のようである。
「勝っても負けても絶対に自分の目的をあきらめないこと。大変なことがあっても絶対に負けないこと。大変なことがあっても、次はいいことがある」
絶対に負けない気持ち。それも彼の強さを作っている要素である。最終戦となる5位決定戦は、9月2日11時半キックオフ。一つでも上の順位で締めくくりたい。
text by TEAM A
photo by Takashi Okui