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アスリートは超人か人間か――世界記録保持者として臨んだ水泳・東海林大のパラリンピック
世界記録保持者は、不調の苦しみの中で戦い抜いた。
東京2020パラリンピックの水泳競技、8月31日に行われた男子200メートル個人メドレー(SM14クラス)に出場した東海林大は、決勝のレースを2分11秒29で泳ぎ、4位入賞を果たした。このタイムは、2019年9月に2分8秒16の世界記録をマークした東海林としては、物足りないように思える。しかしレース後の本人の口から出てきたのは、後ろ向きな言葉ではなかった。
金メダルを取れなくても大きな価値がある
金メダル候補として注目を集めてきた東海林だが、今大会は不調に苦しんだ。初日の100mバタフライは予選で敗退。混合4×100m S14フリーリレーでは、アジア新記録の樹立に貢献したが、第1泳者の中では最下位だった。本来のダイナミックで伸び伸びとした泳ぎからは遠いのか、レース後は、頭を抱えたり、下を向いたりしていた。
最終種目となった200m個人メドレーも、予選は全体8位でギリギリの通過。決勝もレース前半は苦しんだ。最初のバタフライは4位だったが、ターンで遅れると背泳ぎで最下位の8位まで下がった。それでも後半は意地を見せ、平泳ぎで1人抜くと、最後の自由形では3人を抜いて4位でゴール。メダルには届かなかったが、力のあるところを見せた。優勝したのは、リース・ダン(イギリス)。東海林の世界レコードをコンマ14秒短縮する、2分8秒02を叩き出した。
レース後、報道エリアに現れた東海林は、この大会での最後のレースを終えての感想をこう語った。
「悔いはありません。『金メダルを取って!』『もう一度世界新を!』と言われることもあったんですけど、パラリンピックに出られただけでも、本当にすごいこと。たとえメダルが取れなくても、パラリンピックという過酷な状況でも戦えたというのは、この先の人生でも胸を張って生きていけそうだなって思います」
世界記録を破られたことに関しても、「悔しくない」と言った。
リオ大会逃した悔しさを強さに
ほかのパラアスリートと同様、東海林にとっても、東京パラリンピックは強い思いで目指してきた舞台だ。自閉症スペクトラムの障がいがある東海林は、健常者とともに練習や試合を行う中で力をつけてきた。
2014年、高等養護学校1年のときに初めてパラ水泳の大会に出場して頭角を現すと、翌年からパラ水泳の日本代表に。しかし、出場が有力と見られていた2016年のリオ大会は、選考会で敗れて出場権を逃した。以降、その悔しさをバネに、東京大会を目標として躍進。日本記録や世界記録をマークし、2019年には前述の通り200m個人メドレーの世界記録を樹立し、東京パラリンピックの出場権を得た。今大会ではメダルを取れなかったが、世界の決勝で4位。その舞台にたどり着くまでの努力の証は十分に示した。
超人といえば超人だけど、人間
決勝のレース前には、「他人は他人、自分は自分」と考えるように切り替えたという。重圧から解放されたようだった。今回は自国開催のパラリンピックで注目度が高く、周囲からの期待も感じていたはずだ。
5月のジャパンパラ水泳競技大会の際には、レース後の取材対応中にやや自虐的になり、
「オレはそんな有能な奴じゃないですけど、だから期待通りできねえなって少しは思ったんですけど。自分の中では」
と、期待と実像の乖離に苦しんでいる様子を見せていた。解決や成長のカギを探り続けてきたが、そのままパラリンピックを迎えたのかもしれない。
中学生のときから選手としての挑戦を続けてきた東海林。水泳をやめたいと思うこともあったという。そんな中で、アスリートとは何か、人間とは何か、と自問自答し続けていた。
「自分が本当に学びたかったのは、アスリートとは何かということ。その答えは、アスリートも一人の人間。アスリートは、超人といえば超人なんですけど、人間。超人と呼ばれるようなアスリートであっても人間です」
やり遂げ、ホッとした
大会期間中、競技以外では、メダリストとピンバッジを交換したり、2階建てバスの先頭に乗ったりと、楽しめたことも多かった。それで「少しは不安な気持ちが消えた」こともあった。
超人路線からスッと降りて、自分の力を発揮することだけに集中したからこそ、最後のレースの後半、意地を見せることができたのだろう。重圧との戦いを終えた東海林の胸にメダルはないが、「すべてのレースをやり遂げて、少しホッとしました」と言い、堂々と報道エリアを後にした。
text by TEAM A
key visual by Takashi Okui