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卓球
東京パラ後初の国内公式戦・国際クラス別パラ卓球選手権、パリへと向かう新星とベテランに注目!
10代から80代まで約180名がエントリーした国内最高峰の「第13回国際クラス別パラ卓球選手権大会」は、11月13日から14日まで、大阪市舞洲障がい者スポーツセンターで行われた。
東京2020パラリンピック後に初めて行われた国内大会。ここでは、シングルス優勝選手のうち、卓球界の次期エースに名乗りを上げた17歳・舟山真弘と、東京大会で5度目のパラリンピック出場ならずも「一生現役でいる」と力強く話した73歳・別所キミヱに注目したい。
日本のエースを撃破した17歳の舟山真弘
勝利の瞬間、舟山真弘は両手を上げて万感のガッツポーズ。
男子クラス9(立位)のシングルス決勝戦、激闘のファイナルゲームの末に下した相手は、東京パラリンピックの開会式で日本代表選手団の旗手を務めた日本の看板・岩渕幸洋だ。
金星をもぎとった舟山は、「将来、パラリンピックで金メダルを獲るには、岩渕さんは必ず勝たなければいけない存在。スタートラインに立てた気持ちです」と晴れやかな表情を浮かべていた。
次期エースにふさわしい華々しい逆転劇だった。準決勝まで危なげなく勝ち抜いた舟山は、予想通り、決勝では岩渕を相手に迎えた。
1ゲームは舟山が先制。しかし2、3ゲームは岩渕が奪い返し、4ゲーム目は10-10と後がないところまで追い詰められた。しかし、終盤が舟山の力の見せどころだった。
「岩渕さんが東京パラリンピックで左利きの選手と対戦したときの映像を見て対策していた」というサウスポーの舟山は、「岩渕さんにはフォア前かバックロングへのサービスが有効」と狙いを定めてプレーしており、終盤もコースを絞って対応。正念場を切り抜けると、ファイナル9-9でも読みが冴え、「フォア前にサービスを出せば、岩渕さんは7割くらいバックに攻めてくるはず」と予測し、勝利を引き寄せた。
決勝について「厳しい戦いでしたが、意外と冷静だったと思います」と振り返る。
早稲田大学高等学院の2年生。4歳のとき、骨肉腫を患い、右上腕骨と肩関節を切除した。そのため右肩関節機能は全廃し、競技中は装具で右腕を固定している。
卓球は小5のときに遊びで始め、翌年、競技を本格的にスタートした。舟山は「このとき、僕の道ははっきり決まったんです」と明言する。きっかけは、インドネシア2018アジアパラ日本代表で同じ早大出身の金子和也(クラス7)の言葉だった。
「パラリンピックを目指してみないか」という誘いの言葉に「そうなれたらカッコいい!」と感激した舟山は、「僕も早大に入って卓球をし、いつかパラリンピックの金メダルを獲ることを決意したんです」と明かす。
金メダルまでの距離をしっかりと逆算する舟山は、高校入学後、卓球部の顧問に夢を明かし、いま週3~4日、大学リーグ1部の早大卓球部で練習を重ねる。9月には、健常者の全国大会・全日本ジュニア選手権の出場も決めた。
さらに12月には海外の大会に初参戦。バーレーンで開催されるアジアユースパラ競技大会では、「シングルスと団体戦で2冠したいです」と意気込む。パリ大会まであと3年。肢体不自由の卓球界には、シドニー大会以来、メダルがもたらされていないが、この新星が日本を変えてくれるかもしれない。
舞い続ける「マダム・バタフライ」別所キミヱ
一方、70代を迎えてもなお輝いているのが、単複を制した別所キミヱ(クラス5/車いす)だ。色とりどりの蝶のアクセサリーを髪に散りばめることから「マダム・バタフライ」と呼ばれるベテランは試合後、こう言った。
「東京パラリンピックに出られないと決まったときは、情けなくて涙が出ました。そのあと蝶は少し冬眠していましたが、今回、目覚めました。このままでは悔しいし、強くなるために何かせなあかんと思って、いろいろ変えて、挑みました。だから今日は、いろんな意味で、初デビューしたというとこかな」
大会初日のシングルスは、4人にストレート勝ちして圧勝。翌日、石橋栄と組んだダブルスでも、勝負強さを見せつけた。茶田ゆきみと柏木杏ペア相手の優勝がかかる一戦では、ゲームカウント1-2で迎えた4ゲーム目、10-10から相手の配球を読み切って敗戦のピンチを回避し、5ゲーム目は11-0で勝利した。
試合を見守った競技委員長の富岡成一氏は、「さすがのコース取り。今回、いつもよりネット際にボールを入れてプレーを変えてきている様子もうかがえました」と進化を模索するベテランの姿勢に目を細めてもいた。
圧倒的強さを見せつけ、試合後、「私に引退はない。自分のオリジナルの卓球を作り上げたいから」と話した別所。しかし、3年後に迫る、パリ大会については「勝負は厳しいもの。そんな軽々しく行きますと言えるものじゃない」と慎重な態度だった。
というのも、ここ3年は苦難続き。2018年、交通事故に遭って右腕を痛めたのを皮切りに、右ひざ骨折、帯状疱疹、転倒による挫折骨折など次々と苦難が降りかかり、大会も欠場やベストコンディションで挑めない日が続いた。
また、現在も右ひざの調子は悪く、負傷以前は必要のなかった右脚を固定するバンドを使わざるを得ない状況だ。決して体は万全でなく、多くの経験がある別所だからこそ、いまの“パリ”と自分の微妙な距離が分かっているのだろう。
だが、心に燃える火は決して消えていない。実は2019年、「トンボはどんな木でもてっぺんにしか止まらない」という話を聞いて、蝶に加え、トンボのアクセサリーも髪に留めるようになっている。
今大会、別所はお気に入りのトンボは封印した。
「自分はまだつけられる状況じゃないなって。自分の納得できるプレーができるようになったとき、つけたいと思っているんです」
理想のプレーをするためには、「これからも誰にも負けない練習量をこなすつもり」ときっぱり。用具の改良、ラリーに緩急をつけること、ボールへのタッチを速めること……まだまだ課題はたくさんある。
それらをクリアしたとき、別所はお気に入りのトンボを頭につけ、パリへの思いを語り始めるかもしれない。
text by TEAM A
photo by X-1