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車いすテニス
パラリンピアンが伝える「パラリンピックと人権」車いすテニス齋田悟司講演会
パラアスリートの立場からメッセージを発信
1月下旬、千葉県我孫子市の千葉県福祉ふれあいプラザで、「千葉県人権ユニバーサル講演会」が行われた。このイベントは、外国人はもちろん、障がい者、性的少数者など多様な人々が日本にやってくる2020年に向け、受け入れる側も多様性について学ぶための千葉県の事業のひとつ。
講師として招かれた、現役車いすテニス選手であり、アテネパラリンピックのダブルス金メダリスト齋田悟司は「パラリンピックと人権」をテーマに掲げ、会場に集まった450人に向けて90分間の講演を行った。会場ホールの前方には優先席が設けられ、聴覚障がい者や高齢者のために「リアルタイム字幕」のサービスも提供された。
パラリンピアンだから語れるエピソードも
パラリンピアンの立場から登壇した齋田は、2部構成の講演の前半で、12歳のときに骨肉腫を患って左足を切断し、その2年後に車いすテニスを始めてから45歳の現在に至るまでの半生を語った。
貴重な写真や映像とともに講演は展開され、ダブルスで銅メダルを獲得した2016年のリオパラリンピックの話題も多く盛り込まれた。パラリンピアンだからこそ披露できる選手村での生活も紹介。選手村内には誰でも使用できるリラックスのための施設が整い、競技に集中できる環境が整えられていたという。
一方、競技中は強い緊張の連続で、同国対決となった3位決定戦で勝ったときは、ほっとした感情が沸き上がったと話した。大会中は睡眠導入剤を使用していたほどで、「パラリンピックは6回目でベテランだから大丈夫でしょと言われたんですが、そんなことはないんです」と笑いを誘いながら、リオでの戦いを振り返った。
このほか、「東京パラリンピックに出て、4つ目のメダルが欲しい」、「引退後は全国規模で、車いすテニスの講習会を開きたい」などの夢も語られた。
難しいテーマも自身の経験を通して表現
このように半生を振り返ると、後半はパラアスリート・齋田が考える「人権」について語られた。本人はとりわけ強調しなかったが、齋田のもっとも大きな功績は、日本におけるパイオニアとして後進が歩む道を切り拓いた生き方にある。
まだ車いすテニスが日本で競技スポーツとして普及していなかった時代、世界へひとりで切り込み、テニスの4大会をはじめとする大舞台で日本人が戦う道を作ってきた。
そんな齋田は、テニスに携わることによって自分自身が輝くことができ、ときには人に輝かせてもらいながら、さらには社会を輝かせる一端になれたのではないか語る。つまり相互に関わり合いながら、互いの人生を輝かせることが人権を守ることではないかと話す。
「“人権”という言葉を使うと難しくなってしまいますが、人権とは人生を輝かせることで、自分が輝く、人を輝かせる、社会が輝く、この3つがつながって成り立っていると思ったのです」
具体的な例として、パラリンピックでメダルを獲りたいという夢を持ち始めたばかりの頃のエピソードを披露。当時はその夢を大言壮語のようにとらえる人が多かったが、ひたむきに練習しているうち、「頑張ってるね。何か手伝えることはないかい」と思わぬ支援者が増え、次第に夢に近づけるようになったという。
「テニスを始め、夢に向かって行動することで、応援してくれる人が増え、メダルに近づき、人生が変わっていったのです」
これは自分が選手として自分を輝かせるために行動することで、人生が実際に輝くように変わっていった例である。
プロテニス界の英雄とのエピソード
ウィンブルドン(車いすの部)で優勝したあと、元世界ランキング1位のロジャー・フェデラーが「優勝おめでとう」とねぎらってくれたことがあったという。
「実はフェデラーは(ラファエル・ナダルとの)決勝に入る直前だったのです。そんな大事な試合の前なのに、優勝のことを知っていてくれたんです。アスリートとして認めてくれたんだと、とてもうれしく思いました」
もちろん、これはフェデラーという他者が齋田を輝かせてくれた例にあたる。このほか、多くの経験談が明かされ、人権を守るとは、人と人、もしくは人と社会が相互に認め合い、つながって輝かせることではないかと話した。
スピーチトレーニングの成果を発揮
なお、齋田はこの講演に先立ち、日本財団パラリンピックサポートセンター(パラサポ)が提供する「パラスポーツメッセンジャー育成プログラム」(※)を受けて臨んだ。
このプログラムは、話す力や伝える力、他者に印象付ける力の3つを向上させることを目的としている。東京パラリンピックの開催決定により、講演依頼が増えている多くのパラアスリートからのスピーチレベルを上げたいという要望によりスタートした。齋田もそんなひとりで、伝達力を磨きたかったという。
「自分の生い立ちや体験したことを話すのは、そう難しくありません。しかし、今回のような“人権”といったテーマをいただいたときが難しい。私に求められているのは、ネットに載っている“人権”という言葉の説明ではないはず。そこで自分の体験とテーマをどう結び付ければいいかを考えて資料を作り、どう伝えればいいかなどを学ばせていただきました」
今回の講演会はプログラム受講後、初めて臨んだ渾身の作だった。パラスポーツメッセンジャーの講師と相談しながら構成した内容であり、資料は簡潔で、誰にでも聞きやすいスピードで話が展開された。
最後の質疑応答では、「困っている障がい者の方がいたら、どんなサポートすると助かるか」「車いすやラケットのガットなど、大会によって道具を変えたりするのか」など様々な問いが飛び出し、来場者は齋田の話に最後まで耳を傾けていた。
※齋田悟司は、2018年4月「パラスポーツメッセンジャー育成プログラム」修了
※2020年6月追記:プログラムの名称が「パラスポーツメッセンジャー」から「あすチャレ!メッセンジャー」に変更されました。
text & photo by Parasapo