「アスリートの熱い思いを支える」日本車いすテニス協会 佐々木留衣さんのライフストーリー

「アスリートの熱い思いを支える」日本車いすテニス協会 佐々木留衣さんのライフストーリー
2018.05.14.MON 公開

アスリートはだれでも日々黙々と自分と向き合い、ひたむきな努力を続けています。しかし、競技はひとりきりでは成立しません。選手の熱い思いを支える、競技団体で働く女性のライフヒストリーにスポットを当てました。

<パラアスリートを支える女性たち Vol.01>
ささき・るい 一般社団法人日本車いすテニス協会 広報部次長(事務局兼任)
飯塚国際車いすテニス大会(Japan Open)選手サービス・広報委員長

「飯塚国際車いすテニス大会(Japan Open)」は、世界のトップランカーを始め100名近くの選手がエントリーする、アジア最高峰の国際大会。例年、2000名を越えるボランティアスタッフがその運営をサポートします。幼少時代から家族で大会にたずさわり、現在も事務局で選手サービスや広報を担当する佐々木さんに、競技の魅力や車いすテニスとの関わりからお聞きしました。


チェアワークによるスピード感が魅力

毎年大会が始まる直前まで、運営スタッフはさまざまな準備に追われます。コートを整備し、場内にテントを張って、事務局を設置。机やイスをブースに運びこんでポップを飾り、選手が利用する控え室を整備するなど、スタッフ総出で手づくりの設営作業に集中します。中でも佐々木さんは、外国人選手への対応から選手食事会の司会、最終日は表彰式の進行まで、ひとりで何役もこなす大会のエンジン的な存在です。


第33回大会前日、あわただしく「選手サービス(Players service)」デスクを整える佐々木さん。

――佐々木さんを夢中にさせた車いすテニスの魅力とは、どんなところにあると思いますか。

そうですね。テニスは静寂と熱狂、選手の緊張感や瞬発力がダイレクトに伝わってくる、独特な空気がなんともいえない競技だと思っています。車いすテニスにはさらに、チェアワークによるスピード感も加わります。車いすユーザーではない私にとっては想定外の動きが多く、それらに驚かされることも大きな魅力のひとつです。大会運営中はあまり試合を見ることができませんが、見られるときには、瞬間瞬間の興奮と感動を満喫しながら、熱くコートを見つめています。

人生を変えた車いすテニスとの出合い


――佐々木さんは「飯塚国際車いすテニス大会」発足年に生まれて、3歳で初めて大会を体験されたそうですが、当時の記憶はありますか?

父に連れられ、大会前の選手食事会に行ったのが最初でした。覚えているのは、“いつもと違う空気感”。目の前に車いすに乗った日本人選手や外国人選手が大勢いるという“異文化感”を、子供ながらに感じました。

そんな中、ふとひとりの女性選手と目が合ったんです。それはオランダのシャントーレ・ファンディエルンドーク選手。なぜだかわからないのですが、「あの人の名前を聞いてほしい!」と父を引っ張って連れていき、そこからずっと、彼女のひざの上に乗って何かしゃべり続けている様子がホームビデオに残ってるんです(笑)。

その(シャントーレ選手との)出会いからですね。英語が好きになったのは。「彼女と話しをしたい」気持ちが英語を学ぶ原動力になりました。両親も私が英語に触れる機会をつくってくれて、「アジア太平洋子ども会議」などの国際行事に参加したり、友人に会うため、小4でフランスまでひとりで飛行機に乗って行かせてもらいました。

思えば人生の初期に、国の違いや肌の色の違いとか、障がいがあるとかないとか、そうしたことに関係なくさまざまな人に触れ合う機会に恵まれたことで、多様性を自然に受け入れるベースのようなものができました。そのことが、今の自分の生き方に大きく影響していると思います。

選手と交流する小学生時代の佐々木さんの様子が掲載された、第11回大会の新聞記事。

20歳での大会通訳経験がひとつの分岐点に

“私はあの大会に育ててもらったようなもの”と、振り返る佐々木さん。3歳での衝撃的な出合い以降、車いすテニスに興味をもち、大会運営に関わる父とともに毎年会場に顔を出すようになります。小中学校時代はガールスカウトとして運営資金の募金活動を行ったり、開会式でプラカードを持って選手を先導したり、頼まれて試合開始前のアナウンスを務めたことも。

当時は街をあげてのフェスティバル的な雰囲気が強く、関わるスタッフたちにも大会のマスコットのように愛されて、佐々木さん自身はある種お祭りを楽しむような感覚があったといいます。しかし、彼女の意識が一転したのは大学3年、20歳のとき。初めて正式にボランティアとして参加し、車いすの選手たちの現実に直面しました。

――それまでとはどのような違いがあったのでしょう。

まず、1週間毎朝決められた時間に会場に足を運んで、自分に与えられた責務をまっとうさせてもらえたことが当時の自分には喜びでした。

でも、それより大きかったのは、“やっぱり、違いがあることは頭に入れておかなくてはいけない”と気づいたことです。それまで私にとって選手のみなさんは、“出会ったときからアスリート”だったんです。かなりのことはご自身でできるように見えましたし、逆に垣根はないと思っていました。

ところが、いざ選手のサービス担当になってみると、当たり前ですがトイレの問題や、障がいをもつ方にはデリケートな体質の方も多いため、体調管理の問題などがありました。また敷地内が整備されていなかったので、車いすでは通りづらい箇所についての細かな対応なども必要でした。

大会前夜の選手食事会にて。「対戦表はいつ出る?」などの質問に丁寧に対応。佐々木さんを頼りにする外国人選手たちが増え、やりがいを感じているそう。

一般的な配慮とは違う目線の気配りが大切で、そこにきちんと目を向けて、より責任をもち、自分でしっかり把握し管理しなければいけない。もう“楽しい!”だけではダメなんだと、責任感も生まれてきました。

そのぶん、充実感もありました。大会をつくる一員になれたという誇りがもてた。選手からのとっさのクレームにも英語で対応し、自分で解決できたという達成感を味わうことができて、それらの経験がのちに日本車いすテニス協会で働くことにもつながりました。

後編に続く

text by Mayumi Tanihata
photo by Yuki Maita(NOSTY)

一般社団法人 日本車いすテニス協会
http://jwta.jp/

JAPAN OPEN 2018 – 第34回 飯塚国際車いすテニス大会
http://japanopen-tennis.com/

≪ JAPAN OPEN 2018 ≫
日程:2018年5月14日(月)~ 5月19日(土)
会場:福岡県飯塚市・筑豊ハイツテニスコートなど

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