アーチェリー・平澤奈古が胸に秘める青い炎 「大好きだからこそ、より多く、より長く」

アーチェリー・平澤奈古が胸に秘める青い炎 「大好きだからこそ、より多く、より長く」
2018.06.09.SAT 公開

2004年に開催されたアテネパラリンピックのアーチェリー(女子個人・W1/W2)で、初出場ながら銅メダルを獲得した平澤奈古。その後、あと一歩で出場を逃してもあきらめることなくチャレンジし続け、リオパラリンピックに12年ぶりの出場を果たした。だが、リオでは、まさかの決勝ラウンド初戦敗退。「最近まで冷静に振り返れなかったほどショックだった」というが、その挫折を力に変え、現在は東京パラリンピックに標準を合わせている。

ダイナミックなフォームが持ち味だ

メダルへの執念が競技者としての分岐点


長い歴史を持ち、障がいに応じた用具の工夫が認められているパラリンピックのアーチェリー。使用される弓は、オリンピックでも使われているリカーブと、弓の上下に滑車がついていて小さい力でも矢を飛ばすことのできるコンパウンドボウの2種類があり、現在、平澤は後者を使っているが、当初は違っていたと振り返る。


輝かしい実績を持ちながら、パラリンピックに出場できなかった悔しさも知る

平澤 奈古(以下、平澤)  アーチェリーと出会った22歳から約7年間は、リカーブを使っていました。コンパウンドに転向したのは、アテネパラリンピックがきっかけです。当時、練習でお世話になっていたバルセロナパラリンピックの金メダリストである南浩一選手に「パラリンピックを目指しなさい」と繰り返しアドバイスしていただいたことで、自然とシドニーを目指すようになったのですが、残念ながらパラリンピックに挑戦できるレベルに達しませんでした。すると、今度は「奈古は、W1(車いすを使用する四肢まひなどのクラス)でパラリンピックに出場できる。アテネを目指すためにコンパウンドに変えたら」とアドバイスされたのです。

でも、それには少し抵抗がありました。リカーブは、矢をつがえた弦を指にひっかけて引きます。つまり一般的には指の使い方も大切な要素の一つなのですが、私は先天性の四肢障がいがあり、手の指が動きません。それでもリカーブが好きで、パラリンピックを目指せるレベルにまで上達してきました。だから、もっとできるはずという思いもありました。

一方で、練習する度に血が出るほど指を痛めてしまい、限界を感じていたのも事実です。コンパウンドは指ではなくリリーサーという道具を使うため、指への負担を軽くできる。すごく迷いましたし、リカーブをあきらめるようで嫌でしたが、仕方なくコンパウンドに持ち替え、W1クラスに転向しました。これが2003年4月。アテネパラリンピックの約1年5ヵ月前のことですから、まさにぎりぎりのタイミングでした。


これが功を奏す。リカーブの経験を活かし、コンパウンドの腕もみるみる上げ、アテネパラリンピック直前の世界ランキングで1位に到達。その勢いのままアテネ大会に初出場を果たし、予選ラウンドも1位で通過した。当然、金メダルが期待されていたが……。


平澤  メダルがかかる準決勝は、さすがに緊張したんだと思います。その後、準決勝で敗れ、銅メダルマッチに回ることが決まったときは「金メダルじゃないならいらない」と一度はあきらめかけたのですが、次の瞬間、南さんご夫妻や応援してくれている方たちの顔が走馬灯のように頭の中に浮かびました。そして、何も持たずに帰るのは嫌だと強く思いました。それまでの私は、どんな成績でも人に迷惑をかけなければいいと思っていたので、あんなこと、初めてでした。

再び奮い立って3位決定戦に臨んだ結果、銅メダルを手にすることができ、「次こそ金メダルを」という思いも自然と湧き上がりました。この時の経験は、私にとって競技者として一段階ステップアップする大きなターニングポイントになったと思います。

大きな挫折感を味わった12年ぶりのパラリンピック


その後はクラス変更などの影響もあり、北京、ロンドンでは出場を逃したものの、2016年、実に12年ぶりにパラリンピックの舞台に立った。しかし、決勝ラウンドの初戦だった2回戦で敗退。現実は厳しかった。


不完全燃焼に終わったリオパラリンピック

平澤  実はリオの前から調子はイマイチで、勝ち進むイメージがなかなか描けませんでした。とにかく緊張していましたし、アーチェリーは日本の選手も少なく、他愛のない会話ができる仲間が周りにいなかったことも想像以上にマイナスに働いたかなとは思います。でも結局、自分で自分の気持ちの弱さを打ち破れなかったということです。思い出すだけで泣けてきてしまうぐらい、私にとってつらい大会になってしまいました。

でも、リオ以降も試合を重ねる中で、自分の中に少しずつ変化が生まれてきました。試合で多少緊張したり、つらいことがあっても「リオに比べれば大したことない」と乗り切れるようになってきたんです。それに気づいてからは、リオでの経験は私にとって意味のあることだったと思えるようになりましたし、あのときのことを落ち着いて振り返れるようにもなりました。とはいえ、それもまだここ数ヵ月のことなんですけどね(笑)。


その後も何度か繰り返されたクラス分けやカテゴリーの変更に対応しながら、世界の舞台で戦い続けてきた。そして東京パラリンピックでは、コンパウンドオープンでの出場を目指す。


インタビューに応える平澤

平澤  アーチェリーの会場は夢の島公園(江東区)です。海が近いですから、風も強そうですよね。アーチェリーの場合、風が吹くと、弓を支える腕が揺れ矢も流されやすくなるので嫌がる選手が多いのですが、私は風の試合が好きなんです。ですから、東京パラリンピックの会場のことを考えると、思わずニヤっとしちゃいますね。

リオを経たことで自分の中で何かが吹っ切れました。だからこそ、また初期の頃のように、的と自分の世界にパッと入り込めるようになりたいですし、本番では世界で戦うワクワク感をまた感じたいです。
続けらてこられたのは、やっぱり「アーチェリーが本当に好き」という気持ちがあるからです。東京パラリンピックまでに少しでもレベルを上げて、好きなアーチェリーを一試合でも長く楽しめるように勝ち上がっていきたいです。


競技歴は23年を超え、実績十分のベテランの域に入ってきた。「どんなときも動じず、胸の奥に熱いものを静かに燃やす選手でありたい」という平澤が、東京パラリンピックの先に見ているのは「いつか健常者の全日本で優勝したい」という目標だ。栄光も挫折も知るアスリート平澤奈古。彼女が胸の内に秘めている“青い炎”は、長く、静かに燃え続ける。


text by TEAM A
photo by Parasapo,X-1

アーチェリー・平澤奈古が胸に秘める青い炎 「大好きだからこそ、より多く、より長く」

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