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スノーボード
“一家そろって”予選通過のスノーボード、大岩根がチームメイトに慕われる理由
北京冬季パラリンピックの大会2日目となる3月6日、スノーボード日本代表チームが初陣を迎えた。この日行われたのは、スノーボードクロスの予選だ。カーブや波打つ斜面、ジャンプ台など、起伏に富んだコースを1人2回ずつ滑り、速いほうのタイムで順位を決め、上位16人が7日の準々決勝に進める。
日本は6人全員が、無事予選を通過した。日頃から「自分たちは家族のようなもの」と公言している選手たちは、揃っての予選通過を喜んだ。
勢いあり。メダルも夢ではない
スノーボード日本代表チームで先陣を切ったのは、チーム唯一のワンハンダー、大岩根正隆だ。
2022年1月に開かれた2021パラスノースポーツ世界選手権(ノルウェー・リレハンメル)で表彰台にあと一歩の4位と健闘し、北京大会でのメダルも夢ではないことを証明した41歳。今回の予選のタイムは1分4秒18で18人中11位という結果だが、トップとの差は1秒37と、順位ほどの差はない。
大岩根は、「決勝は数人で試合となると、何が起きるかわからない。楽しみにしていてください」と180㎝の長身を揺らし、大らかな表情を浮かべていた。
昭和の家族にたとえられる日本代表チーム
スノーボード日本代表チームは、昭和の日本の家族像にたとえられている。
日本代表チームで唯一2大会連続出場している小栗大地が、要所でチームを締める「お父さん」なら、元フリースタイルのプロボーダー岡本圭司は、何かと家族を盛り上げようとする「長男」。続いて年齢順に小須田潤太が「次男」、市川貴仁が「三男」で、養護学校の教員を務める田渕伸司は、温かい「おばーちゃん」なのだという。
大岩根はチーム内で、「お母さん役」を担っているそうだ。実際の大岩根は、妻と子どものいる父親だが、チーム内で「お母さん」たる理由は、面倒見のよさにあるらしい。
10代の頃、オートバイのレーサーを目指していた大岩根は、17歳のとき、転倒事故で右腕を切断。夢はついえたが、かつて抱いていたオートバイのチューンナップへの情熱は、いまスノーボードのギアに注がれている。さらに大岩根は、豊富な知識や経験を惜しみなく仲間に与えている。
チームメイトから感謝の声、声、声
大岩根の知識量がどれほどかを証言するのは岡本だ。「まーさんに、あの板のサイドカーブ、なんぼでしたっけ? と聞くと、小数点第2位までいえる」。
小須田は、大岩根の板で調子を取り戻していた。「世界選手権で個人種目はさんざんでしたけど、大岩根さんの板を借りて滑ってチーム戦では、いい滑りができたんです」。
岡本は、表彰台にまで立っている。「普通、僕らの世界で板の貸し借りはNGなんですけど、オランダの大会でまーさんは自分のランが終わったあとに『このボード、合っているんじゃない』と貸してくれて、僕はその板で表彰台に立てたんですよ」。
チームメイトたちは大岩根からの「無償の愛」を感じているようだ。
情熱冷めず、37歳でスノーボードに戻ってきた
大岩根は仲間の躍進を願いながら、自身の成長も追い求めている。
2001年に21歳で始めたスノーボードだが、当時、障がい者向けの大会がなかったことから一度引退し、障がい者ゴルフに転向した。しかし、2017年にパラ・スノーボードチームがあることを知って「閉じ込めていた気持ちがあふれた」と、8年ぶりの復帰を決めた。
37歳での新たな挑戦。決して若いとはいえない年齢だが、2019年にアスリート雇用をしてくれた現在の所属先に転職すると、トレーニング時間を増やしてビルドアップし、課題だったスタートも左腕で右側のバーを握って踏み切るなど、工夫を重ねてきた。腕があるほうにバランスが傾きやすいという課題については、「なるべく腕が板の外にはみ出ないようにして」解決を図った。
大岩根がたどってきた道程からにじむのは、あふれんばかりのスノーボードへの情熱と探求心だ。ここ3年、速さを求めてきた隻腕(せきわん)が表彰台を狙う。
text by TEAM A
key visual by AFLO SPORT