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クロスカントリースキー
クロスカントリースキーで金メダルの川除大輝、レジェンドから引き継いだ未来へのバトン
最高の“引継ぎ”だった。北京冬季パラリンピック・日本代表選手団の旗手を務める、21歳の川除大輝が7日、クロスカントリースキー男子20㎞クラシカルで金メダルを獲得。バンクーバー大会と平昌大会の金メダリストで、1998年長野大会から北京大会まで7大会連続出場となる41歳・新田佳浩は7位となり、ふたりそろっての表彰台は実現しなかったものの、「日本チームとして7大会連続のメダル」という目標は果たされた。
チーム力が導いた金メダル
パラリンピック2大会目の川除は、レース序盤から落ち着いていた。軽快なピッチで上り坂を駆け上がり、下りはしゃがみ込むような姿勢で空気抵抗を減らして滑る。平地は161㎝の身体を大きく振ってぐんぐん進んだ。2km付近でトップに立つと、得意の後半もスピードは衰えず、独走状態に。途中苦しそうな表情ものぞかせたが、ラスト一周の手前で帽子を投げると、残りの力を振り絞って滑り、ガッツポーズしながらゴールした。
ワックスの選択もうまくいった。「後半、他の選手は落ちてくると思っていたので、自分は落とさずに徐々に離していこうと思っていました」と話し、強めのワックスを選択。気温が上昇しても後半の上りでグリップを効かせることができた。
有言実行の金メダル。それでも本人は、レース直後「まさか自分がという気持ちがすごく大きくて。まだ実感が湧いてないです」とコメントし、憧れの金メダリストになった驚きを隠せない。
遡ること12年前。小学1年生のとき、新田がバンクーバー大会で獲得した2つの金メダルを首にかけてもらったことがパラリンピックの舞台を目指すきっかけになった。そして、4年前の平昌大会、新田が表彰台の中央に立つ姿をチームメートとして見た。翌年、川除は世界選手権のクラシカル(ロング)で優勝。新田の存在は、憧れ、師匠、先輩、ライバル……少しずつ形を変えた。それでも、前をいく新田の背中が道しるべだということに変わりはなかった。
2月に行われた日本代表選手団結団式では、過去に新田も務めた旗手という大役を任されたことについて、「新田選手はこれまでバンクーバー大会と平昌大会の2大会で金メダルを獲得している選手。(新田はトリノ大会で旗手を務め)僕も新田選手の道を辿っての旗手をさせていただけるということは期待されているから。すべて新田選手を辿るわけではないんですけど、期待されての旗手だと思っているので、そこでしっかり成績を収められたらいいなと思います」と静かに決意を語っている。
そして、この日、新田に約5分もの差をつけてゴールした川除。新田に勝たなければならなかったし、新田と同じ金メダルを獲ることが日本チームをけん引してきたレジェンドへのはなむけになる。そんな気持ちを抱いてレースに臨んでいたに違いない。
「ずっとトップを走ってきた新田さんに、『次は自分がチームを引っ張っていく力がついた』と証明できたと思う。これからはさらに上を目指し、速くなれるように頑張っていきたいです」
新田は北京大会を最後のパラリンピックと位置付けている。レジェンドから新エースへ。バトンが渡された瞬間だった。
レジェンドの意地
持てる力を使い切り、ゴールした瞬間、倒れ込んだ新田は、平昌大会以降、後進の育成を第一に取り組んできた。「僕自身の成長だけでなく、他の後輩の選手の成長を促すこと。技術や心構えを少しでも吸収してもらえたら」と話し、なによりメダリストを誕生させることがチームの底上げになると考え練習を共にしてきた。チームの強さを示すには、複数メダリストを生むことだ。最後に描いていたのは、チーム随一の有望株・川除とともに表彰台に上がる姿だっただろう。
レースでは、前半は抑え気味に滑り、後半に追い上げる狙いだった。だが、身体には以前のキレはない。美しいフォームでの滑りを見せるも、川除や2、3位の中国選手に追いつくことはできなかった。
「よく頑張ったなと思うし、川除選手も優勝できてよかったなと思う。スッキリしました」
涙をこぼしながら、自身や川除を称えた新田。
「これがゴールではない。彼自身、もっと成長して、今回出場できなかった選手たちもいますし、もっと高みを目指して頑張ってくれれば」
メイン種目を終えたレジェンドは、長く携えてきたバトンを川除に託した。
text by TEAM A
key visual by AFLO SPORT