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トライアスロン
新しい地図×土田和歌子、道下美里。「“頑張って偉い”を超えて」
text by Number編集部(Sports Graphic Number)
photograph by Takuya Sugiyama
パラリンピックを盛り上げる「新しい地図」の3人がホストを務める新連載。初回はパラメダリストである土田和歌子選手と道下美里選手を迎えた。
2年後に迫る東京大会を見据えつつ、パラスポーツならではの難しさと面白さ、魅力を引き出す観戦方法などについて、5人が存分に語り尽くした。
Number960号(2018年8月30日発売)の連載第1回を、全文公開します!
※本記事はSports Graphic Number との共同企画です。
香取 連載1回目のゲストは、パラリンピック・メダリストであり、それぞれの種目で世界記録をお持ちのスーパーアスリートのおふたりです。しかも土田選手はこれまでに7回もパラに出場している。どれだけ凄いんですか?(笑) しかも夏冬で違った競技で出場している。
土田 いえいえ。17歳の時に事故に遭って下肢に障害を負ったのですが、最初はアイススレッジというソリを使ったスケート競技に取り組み、リレハンメル、長野と冬季パラに出場したんです。ただ長野を最後にアイススレッジがパラ競技から外れてしまい、陸上の車いすマラソンに転向しました。競技が変わったことも、長年大舞台に出続けられている理由かもしれません。
草なぎ でも次の東京はトライアスロンで代表を狙っているんですよね?
土田 はい。実はリオの後、運動性の喘息を発症してしまい治療の一環で水泳を始めたんですが、これが楽しくて! 陸上は長くやっていたし、水泳を強化すればパラリンピックにもいけるのではないか、と欲を出して、昨年転向しました。スイム750m、バイク20km、ラン5kmで競います。
気づくと1km流されていることも。
稲垣 トライアスロンは素人から見ると未知の世界です。泳ぐ、漕ぐ、走るを一緒にやるって超人的ですよね。転向してから時間が経っていないのに、すでに国際大会でも優勝していて……僕には想像のつかないような努力をされているはずです。
土田 最初は苦労しました。私は脚を動かせないので水に浮くことすら難しくて。しかもレースは海の潮の状況によっては気がつくと1km流されていることもあります。
草なぎ 土田選手は僕と稲垣くんと同世代ですよね。僕自身、40歳を過ぎたあたりから体力がガクッと落ちたのを実感しています。ジムでも昔は5kmを20分で走れていたのに、今は30分もかかっちゃうし、集中力も年々続かなくなってきている。そうなると失うものばかりに目がいきがちで、昔ならできたバク転、もうできないな……とか後ろ向きになってしまうので、この年齢で新たな競技に挑戦するのは本当にすごいです。
土田 ただ、怖い思いをしたこともありますよ。昨年オランダで行われた世界選手権では、水温が17度と経験したことのない低さだったんです。身体がその温度に適応できなくて、スタート前に過呼吸を起こし、棄権せざるをえなかった。でも今はそういった未知の経験をすることで、まだまだ自分が強くなる可能性を感じています。
風を切って走る感覚が最高で。
香取 道下選手は僕と同い年なんですよね。
道下 はい、41歳です。当初は中距離の選手だったのですが、「長い距離を走ってみたら」と助言を受け、26歳でマラソンを始めました。風を切って走る感覚が気持ちよくて夢中になり、リオでパラリンピックに初出場、銀メダルをとることができました。
香取 視力はどれくらいなのですか?
道下 私は膠様滴状角膜ジストロフィーという病気で、何らかの原因で角膜に濁りが生じるものです。今だと隣にいらっしゃる稲垣さんと草なぎさんのことはぼんやりと黒い影のように見えているのですが、3mほど離れている香取さんはほとんど見えない。せっかくなのに、残念です(笑)。
稲垣 その視覚でフルマラソン、信じられない。僕は以前、テレビ番組の企画で伊平屋ムーンライトマラソンに挑戦し、42.195km走ったことがあります。15kmくらいまでは気持ちよく走れていたのですが、20km過ぎからが本当にきつかった。
道下 どれくらいのタイムでしたか?
稲垣 途中歩いたので5時間以上かかりました。道下さんの2時間56分には遠く及びませんが、走り切った達成感はとても大きくて、その時に履いていたスニーカーは未だに捨てられないんですよ。断捨離するときにいつも「どうしようかな」って迷うんですが、やっぱり残してしまう。
草なぎ わかるわかる! 僕も27時間テレビで100km走りましたが、そのスニーカーは捨てられないですもん。底が磨り減っていたりするのが思い出深いんだよね。
香取 2人のそんな話、初めて聞いた(笑)。
レース中の「頑張れ」は禁止。
草なぎ 練習でも常に伴走者が一緒ですか?
道下 はい。リオパラまでに練習や試合で伴走してくれた「チーム道下」は100人を超えていました。今は今日同席してくれている河口恵さんを含めて、12人のスタッフと練習していて、1日に60kmほど走りこむこともあります。
草なぎ 絶対ぼくには無理だ。河口さん、伴走者はどんな指示を出すんですか?
河口 いわゆる「視覚情報」だけを伝えます。例えば、カーブの入口で「右90度」、出口で「カーブ終わり」。「終わり」は必要ないと思う人もいるかもしれませんが、選手はどこまで曲がって走ったらいいのかわからずに不安になる。目の見えない選手の気持ちを想像して指示をしますが、私はまだ未熟なところがあって。他には給水の補助やタイムの管理も仕事ですね。
道下 伴走者は10秒に1回は指示を出してくれますが、「頑張って」「勝負所!」といった掛け声はルール違反です。
香取 えっ、そうなの?
道下 ですので、視覚情報にあたらないレースの戦略などは前もって何パターンか準備しておくんです。
伴走者を信じているからこそ。
稲垣 仕事が多いな! 道下選手は見えないことへの怖さはないんですか?
道下 伴走者を信じているので怖さはありません。日常生活でも一緒にいる時間が長いので、阿吽の呼吸というのでしょうか。支え合う側面が強い競技なので、伴走者たちと「最強のチーム」を作ったランナーが勝つとも言えると思います。
土田 トライアスロンも同じです。例えば、水泳から自転車へのトランジションでは、ウェットスーツを脱いだり、車いすに乗り換えるのをハンドラーと呼ばれる人に手伝ってもらう。1秒が結果を左右するので、いかに息を合わせられるかが重要ですね。
香取 F1のピットインみたいですね。サポートが重要だからこそ、もしその人たちとプライベートで亀裂が入ったら大変そう。
土田 私は夫がコーチですが、意見をぶつけあいつつもなんとかなってますよ(笑)。
道下 私はリオの時にチームみんなで気合が入りすぎ、レース前に必要以上にピリピリしてしまったことがあります。お三方もコンサート前などに気分が昂ぶって、雰囲気が悪くなった経験はないんですか?
稲垣・草なぎ・香取 うーん……。
香取 直前までギクシャクしていても、カメラの前では笑顔になれるよね(笑)。
稲垣 ステージ上の立ち位置を間違えると他のメンバーから「違うよ」っていう「気」を感じることとか。
草なぎ 長い間一緒にいるから、言葉にしなくても相手の気持ちが分かるとかはありますね。ただエンターテインメントの場合、誰かの失敗が面白くなったりすることもあって。グループの中で「1番の人」よりも「ビリの人」が輝くこともあるんです。おふたりのようにギリギリのタイムを争っているわけではなく、結果的にお客さんに楽しんでもらえればOKですから。
トライアスロン? 絶対無理!
土田 コンサートや舞台では体力も必要でしょうし、そういった意味でアスリート気質をお持ちのような気がします。
稲垣 確かに舞台や映画の前に、短期集中で鍛えることはありますね。
香取 ……僕は運動は全くしないんですよ。絵描いてるだけ(笑)。2人はよく運動していてすごいよね。
草なぎ 慎吾はさ、身体のポテンシャルあるのにやらないよね。
香取 ミュージカルの稽古の時に、僕の身体を触ったトレーナーさんに、「体格も良いし、頑張ればオリンピック選手になれたと思う。今からでも始めないか?」って言われたことはありましたね。
土田 今からトライアスロンを!
香取 絶対無理! 苦しみから逃れて生きていきたいんです……。そもそも土田さんの競技用の車いすを見ると、座るスペースが狭い! 乗ってみたいけれど、僕が入ったら一生抜けなくなりますよ。
土田 身体にぴったり合わせて作ってあるので、太ることも痩せることもできないんですよ。この座面に正座して乗るんです。
吾郎さんでも……きついです。
草なぎ 吾郎さんなら入るかもよ。
稲垣 僕は細い方ですが……きつい。競技では、ここに入って正座のまま両手でホイールを回して走るんですよね。正座をして力を出す。日常生活ではありえませんね。
土田 難しいですよね。私自身、車いすで走ることを突き詰めてきたと思ったのですが、トライアスロンに転向して発見がありました。肩甲骨周りなど関節の可動域が広がって身体の柔軟性もあがり、新しい力の入れ方ができるようになったんです。ちなみに水泳の動きは陸上と真逆です。車いすを漕ぐ時は肩甲骨を締めてホイールを回すのですが、水を掻く時には肩甲骨を開く。
稲垣 両方の動きができると身体のバランスが良くなるんじゃないですか?
土田 おっしゃるとおり。アスリートとしてレベルが上がったかなと思います。
香取 乗り物も進化しているんですか?
土田 性能はどんどん良くなっています。私のは最先端の日本製で素材はカーボン。これまでアルミ製が主流でしたが、カーボンの方が軽いので気に入っています。日本製は外国の選手も乗りたがっているくらい高性能ですから、東京パラでは国産車が多く見られるはずです。ちなみに自転車と同じで細いタイヤには空気が入っているので、レース中にパンクすることもある。その場合は自分で直さないといけないので工具を座席に積んでいるんです。
アスリートへの姿勢に同情がない。
草なぎ 座面の後ろに収納スペースがありますね。メンテナンスは苦手な女性もいそう。
土田 男子だとパンクを2分以内に修理してしまう神技を持つ人もいます。
草なぎ 道下さんの道具は伴走者と繋がるロープですよね。
道下 はい。手芸屋さんで購入しましたが、かなり吟味して選んでいます。円周の長さとか手触りの柔らかさ、色々な種類を試してこれにたどり着きました。
土田 皆さんは何かパラスポーツを体験されたり、観戦されたりしましたか?
草なぎ この間、ボッチャを初体験してきましたが本当に面白かったので、他の競技も勉強したいと思っています。慎吾は平昌パラを観戦しているし、僕らの中で一番パラスポーツの現場に足を運んでいるよね。
香取 現地で観戦してハッとさせられたことがあるんです。アイスホッケー会場にいったときに、選手が気の抜けたプレーしたり、ミスをすると観客から「何やってんだ!」ってヤジが飛んでいた。アスリートへの姿勢に変な同情がないことに驚いたんです。
稲垣 そんな雰囲気なんだね!
“頑張れ”で終わらないために。
香取 僕はどこかで、パラアスリートに対して「障害を持っているのに頑張っていて偉い」という気持ちがありました。試合中、選手が転んだりミスをしたりしても、無意識のうちに「いいんだよ、頑張って」という思いで観ていた。
パラスポーツも健常者と同じだと頭では分かっていたつもりだったんですけど、肌で真剣勝負の熱を感じると「そうか、これだ!」と腑に落ちたんです。そしてこの感覚をもっと多くの人に味わってもらわなきゃと強く思いました。2020年に初めて会場に行くのでは遅いと思うんです。それだと多くの人が「頑張って、すごいね」で終わってしまう。
土田 本当にそうですね。ルールや障害のクラス分けについても、観戦前に知っておくとより楽しく観られますしね。
香取 そう! 平昌でも細かいクラスを把握するのが本当に難しかったんです。
道下 ブラインドマラソンは視力の程度によってクラスが分かれ、パラリンピックでは3つ(T11、T12、T13)に分かれています。一見、細分化されているように見えますが、選手としては「条件が同じとはいえない」と思うこともあります。私はT12ですが、同クラスにも視力が良くて、伴走者ナシで走れる人もいます。
目標はやっぱり、金メダルです。
草なぎ 観ている側からすると、3クラスでも多いなと思ってしまうけど……条件の異なる中でメダルを争うのは大変ですね。
道下 ちなみにパラリンピックではT11とT12は同時にスタートします。
稲垣 それも難しさがありますね。でも観る方にも知識が求められる反面、クラス分けの難しさを含めて、その背景を知れば知るほど奥が深い。面白いです。
土田 トライアスロンは先日、東京パラで実施されるクラスが発表されました。私のクラス(PTWC)は入ったのですが、該当クラスが除外されてしまった日本の有力選手もいる。その選手の悔しさは勝敗とは違ったものです。彼ら彼女らの分まで頑張らないと、と思っています。
草なぎ 土田さんの目標はやっぱり……?
土田 金メダルです。アイススレッジと陸上競技では金メダルを取りましたが、トライアスロンでもやっぱり欲しい。
道下 私ももちろん金メダルです。銀じゃだめ。実は私はレース前はプレッシャーはほとんど感じないタイプなんです。でも2回目の大舞台では、リオでピリピリしてしまった反省を踏まえ、チーム全体で落ち着きを保って最高の結果を出したいです。
支え合いが戦略になっている。
香取 変な話ですが、伴走者の方もメダルは貰えるんですか?
道下 伴走者が1人だともらえるのですが、日本代表は勝負にこだわるために伴走者は前半・後半の2人体制なので、リオではもらえなかったんです。わかってはいたのですが、伴走者のメダルがないのは悲しくて。
稲垣 今のお話もそうですが、パラスポーツは支え合いやコミュニケーションがひとつの「戦略」になっている点がとても興味深くて、そこに注目したらもっと競技が面白く観られるかもしれないと思いました。
例えば、平昌ではカーリング女子が盛り上がりましたよね。あれは選手同士の会話が聞こえ、チームの雰囲気を共有できたことが大きかった。僕はゴルフが大好きなのですが、クラブの選択やグリーンの読みなど、選手とキャディの関係を見て楽しんでいたりもします。パラスポーツもそんな視点があってもいいのかもしれません。
香取 最近、このままだと2020年までに皆さんにパラスポーツの魅力を伝えきれない、間に合わない、と焦り始めているんです。日常生活の中で、パラスポーツに関する情報がテレビや新聞で全然入ってこないでしょう? 僕自身、「一度は会場に!」と言っているわりには「どの競技が、いつ、どこでやっているのか」、かなり意識していないとわからない。僕に出来ることを考えて、SNSでどんどん情報を発信していこうと考えています。
「生きる力」を頂いた気が。
草なぎ 僕は今日、ちょっと大げさかもしれませんが「生きる力」を頂いたような気がします。障害を持っているおふたりは失ったものを後悔せず、むしろその条件を楽しんでいるように見える。僕らも長年続いたグループを飛び出し、新しいことをはじめたばかり。共通点があると感じました。
道下 私、東京五輪の時に「日本がこんな風になったらいいな」という経験をロンドンでしました。今年ロンドンマラソンに出場したのですが、大会前に街を走っていると「Good Luck!」と声をかけてくれる。些細なことですが、街全体に歓迎されている気がして本当に嬉しかったんです。トイレで洗面台の場所が分からず困っていたら、手をとって助けてくれた方もいた。言葉が通じなくても自然にサポートしてくれて、日本でもこれができたらって思います。
土田 困っている人を見かけたとき、どう手助けすればいいか分からず、躊躇してしまうこともあると思うんです。でも、まずはサポートします、という姿勢を相手に見せることが第一歩だと思います。
稲垣 サッカーのロシアW杯で、会場を綺麗にして帰る日本人のサポーターの振る舞いが世界中で賞賛されましたよね。僕はあれが本当に嬉しくて。東京五輪でも公式のおもてなしだけでなく、さりげない気遣いを世界に発信できたらいいですね。
道下美里 Misato Michishita / Marathon
1977年、山口県生まれ。視覚障がいマラソン選手(T12クラス)。リオパラリンピックで銀メダルを獲得。’17年防府読売マラソンで2時間56分14秒の世界新記録を樹立した。今年4月にロンドンマラソン優勝。144cm。
土田和歌子 Wakako Tsuchida / Triathlon
1974年、東京都生まれ。車いすトライアスロン選手(PTWCクラス)。パラリンピックで7個のメダル獲得、’13年マラソンで1時間38分07秒の世界記録を樹立。’17年競技転向し、ITU世界シリーズ横浜大会で優勝。160cm。
本連載は約2カ月に1度の掲載、次回は2ヶ月後の予定です。
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