北京冬季パラリンピックで金4個! 大奮闘の日本代表選手と4年後に向けた課題
北京冬季パラリンピックは13日夜、北京の国家体育場、愛称「鳥の巣」で閉会式が行われ、10日間の熱戦の幕を閉じた。ロシア軍によるウクライナ侵攻を受け、ロシアとベラルーシ選手の参加を認めないなか、46ヵ国・地域から集まったアスリートは、6競技のそれぞれの障がいクラスで頂点を目指した。
大会最終日、日本代表選手団の河合純一団長は、「チーム力と対応力を十二分に発揮し最高のパフォーマンスを見せてくれた」と金4、銀1、銅2と合計7つのメダルを獲得した日本勢の活躍をねぎらった。
7個のメダルは、海外で開催された冬季パラリンピックでは過去最高の成績となる。メダル獲得数で日本は9位。1位は61個の地元・中国、2位は戦時下にあるウクライナで、獲得したメダルは29個だった。
マルチメダリストの村岡が貢献
今回、文句なしで日本チームの主役を担ったのは、アルペンスキー女子の村岡桃佳だ。日本代表選手団の主将は金3、銀1を獲得し、結果で日本チームを鼓舞。前回のように5種目すべてでメダル獲得とはならなかったが、それでも「金メダルを増やせた。やりきった!」と充実の表情を見せた。
アルペンスキーでは銅2つを手にし、5大会連続でメダル獲得した男子の森井大輝も「メダルを獲得できことは本当にうれしい」と喜びを口にした。しかし、41歳の目標は、まだ手にしていない金メダルだっただけに、「うれしさと悔しさが入り交じる、複雑な思いの大会になってしまいました」と、割り切れなさも打ち明けた。
アルペンスキーチームは「若手育成」という課題も見えた大会になった。出場した日本の14選手のうち、20代はわずか4人。ノルウェーの23歳、イェスペル・ペデルセンが金4、銀1と圧倒的強さを見せつけ、20代の中国勢も上位へ多数進出。夏目堅司監督は「若い子を中心にレベルを上げないと、世界にどんどん置いていかれる。とくに男子はそうですね」と危機感を口にした。
同時に、夏目監督は、選手発掘の難しさを明かしている。
「トップにお金をかけて強化することは可能だが、その前に人材の確保が非常に苦しいということが正直あります」
トップ層の強化とともに、選手の発掘が急務だ。
新旧エースが高め合った
一方、世代交代の成功を印象付けたのがクロスカントリースキーだ。21歳の川除大輝が男子クラシカル20kmで金メダルを獲得した。
このメダルは、これまでの6大会で3個の金メダルを手にした41歳・新田佳浩の意識も大きい。「(37歳で金メダルを獲得した)平昌の後、引退しようと思っていた」というレジェンドは、「長野から続いている日本のメダルを途切れさせたくない」と、平昌後も現役を続行。選手として川除のライバルであり続けることで若手の心身の成長を促した。
その川除は、金メダル獲得後、率直に「日本チーム一丸でメダルをつなげられたことはよかった。でも、僕は今回、日本チームのためという思いを背負いきれるほどではなく、この4年間のすべてを出し切るという意識で滑りました」と話している。
まだ自分のことで精いっぱいだったという告白だが、年齢を重ねていけば、新田のように日本チームを引っ張っていく存在に変わっていきそうだ。
一方、3人が出場したバイアスロンでは、高地への順応や日々変化する風に苦労させられた。そんななか左肩の大ケガから復活した佐藤圭一がインディビジュアル12.5kmで7位入賞を果たし、ベテランの意地を感じさせるレースを展開した。
その他、ノルディックスキーチームは初めてパラリンピックの舞台を踏んだ18歳の岩本美歌など、4年後は若手の巻き返しに期待がかかる。
スノーボードは道半ば
前回、成田緑夢が金1銅1を獲得したスノーボードは、メダルなしに終わった。しかし、日本が力を入れてきたスノーボードクロスで、出場選手6人中、5人が入賞。二星謙一監督は、「前回は前回、今回は今回で達成できたものがある」と納得した表情で話した。
二星監督がこう話すのは、日本チームとして挑む2回目のパラリンピックでチームビルディングが順調という手ごたえがあるからだ。健常でもトップ選手だった成田という個に頼ってメダルを成し遂げた4年前から、今回はチームとして計画的に強化を進め、6人を北京に送り出した。
たとえば二星監督は、平昌が終わった最初の2年間で、「練習できる環境を整えてほしい」と選手に覚悟を促し、一部選手はアスリート雇用などしてくれる企業へ転職。3年目に強化選手をいまの6人に絞り、表彰台を目指してきた。今回、メダルは逃したが「チーム全体の底上げができた」というのが指揮官の実感だ。
またすべての競技に共通していた課題は、様々な雪質・天候に対応する能力だ。大会前から氷点下で固めた人工雪への対応が難しくなることへの懸念はあったが、3月に入って気温が上昇し、足を取られやすい腐った雪に苦慮する日が多かった。硬いバーンを予測していたチームも多く、おのずと選手たちはどう滑るか、ワックスマンはどんなワックスを選定するのか、悩まざるを得なかった。
今後はいかに対応力を磨くか。スノーボードクロスで日本最高の5位だった市川貴仁は「これからは、365日滑るつもりでやって、どんな天気、どんな雪質にも合わせられる滑りをしていきたい」と決意を語り、雪上で過ごす時間を増やしていく必要性を唱えている。
アルペンスキーの夏目監督も、パラリンピック史上最も難易度が高いといわれたコースについて「初めて滑るという条件は(欧米選手も)みな同じだが、彼らはシーズンが長いぶん、対応能力が高かった」と語り、様々な条件下での長時間のトレーニングが結果につながることを強調した。
ただ、ここ2シーズン、日本チームはコロナ禍で思うように思うように海外遠征できず、雪上にいる時間を確保しづらかった事情もある。そんななかでも、アルペンスキー日本チームが長野県の菅平高原に専用バーンをつくり、滑降日数の確保に努めていたように、そのときにできる最大限の努力はしていた。
ノルディックスキーチームも長野県の湯の丸高原で事前合宿を行い、高地で行われる本番に備えていた。
いずれにせよ、最終日に河合団長は「今回に続き、学び続けるのが我々の次なる目標」と力強く語った。この言葉通り、日本代表はまた新たな目標に向かって歩み続けるしかない。
次回、冬季パラリンピックは、2026年にイタリアのミラノ、コルティナ・ダンペッツォで開催される。今回、出場権を獲れなかったアイスホッケー、車いすカーリングも含めて強化を図り、日本代表は2006年のトリノ大会から続く金メダルランキング10位以内を継続できるか。
text by TEAM A
key visual by Getty Images Sport