スポーツ指導者必読! 益子直美さんが「監督が怒ってはいけない大会」を始めた理由(前編)
教育現場で、指導と称した罵声や体罰がいけないことだと認識されてから久しい。しかし、部活動やスポーツの指導では、強くなるため、勝つためには「怒り」による厳しい指導が当たり前だと考えている指導者がまだいる。そんなスポーツ指導の間違った常識に疑問を感じ、怒りによる指導をなくそうと活動しているのが、元女子バレーボール日本代表選手の益子直美さんだ。そこで益子さんと、科学的根拠をもとにアスリートのメンタルヘルスの重要性を研究・普及している、国立精神・神経医療研究センターの小塩靖崇さんにお話を伺った。
注目の「監督が怒ってはいけない大会」
元女子バレーボール日本代表の益子さんと、心の健康・メンタルヘルスが専門の研究者である小塩さんは、一見すると全く違うフィールドを生きているように見えるが、ふたりには共通点がある。それは、「アスリートや子どもたちのメンタルヘルスをサポートする活動をしている」ということ。
益子さんは2015年から開催していた小学生のバレーボール大会を、2021年4月に社団法人化。「一般社団法人 監督が怒ってはいけない大会」の代表理事に就任した。一方の小塩さんは、日本ラグビーフットボール選手会が立ち上げたアスリートのメンタルヘルスサポートのあり方を考えるためのプロジェクト「よわいはつよいプロジェクト」の立ち上げメンバーの1人だ。「よわいはつよいプロジェクト」のホームページには、益子さんもメッセージを寄せている。そんなふたりが考える健全なスポーツ指導とはどのようなものなのだろうか。
――まず「監督が怒ってはいけない大会」とはどのようなものですか?益子直美さん(以下、益子):参加した子どもたちが楽しくバレーボールをやるために、指導者の皆さんに、その日だけは怒りを封印していただいて試合をするという大会です。開会式の後に感情をコントロールするためのアンガーマネージメントとペップトーク(前向きな言葉がけ)、さらにスポーツマンシップといった要素を盛り込んだセミナーを行います。指導者の皆さんが最前列で、次が参加する子どもたち、その後ろに父兄というかたちで皆さんにインプットをしてもらい、その後、実際の試合でアウトプットをしてもらいます。
指導者は意識をしていないと選手のミスなどネガティブなことに目がいきがちですし、怒ったときには腕を組むとか貧乏揺すりをするといった「無意識」の癖のようなものが出たりするんですね。でも、この大会では、指導者に怒りを封印するという「有意識」でベンチに座ってもらい、さらに怒りを封印したらどんな声かけが出てくるのか、その気づきを感じてくださいとお願いしています。
小塩さん(以下、小塩):指導者の方々の反応はどうですか?
益子:最初に大会をやった福岡ではすでに7回開催しているので、次のステップに移れるくらいに変化はありました。ただ、「怒っちゃだめ」と言われたために監督さんが何も喋らないというケースがありました。怒りは封印したけれども、褒めることもしなくなってしまったんですね。だからそのチームの選手たちはミスをすると監督の方を直立不動で見るような状態で、全く笑顔がなくなってしまったんです。
去年の11月にやった大会でも、ご高齢の男性の監督さんがいたんですが、めちゃくちゃ怒るんですよ。怒った口調で「この大会は楽しむ大会なんだよと(怒)」と言ってるんです(笑)
小塩:それは子どもたちとしては、怒られたと感じてしまいますね(笑)。
益子:本人は恐らく普段からそういう指導をしているので、怒っているつもりはないと思うんですよね。ですから私はタイムを取って、小学校5年生のチームでしたが、メンバーを集め「監督が楽しめって言ってるけど、みんなどうすれば楽しめると思う?」と聞いたんです。そうしたら子どもたちが1人ずつ「目標!」「コートの真ん中に集まる!」「声かけ!」といろんなアイディアを出してくれました。なので「じゃあ目標は何?」と問いかけたらある子が「10点を取る」と言って、みんなもそれに賛同しました。チームの目標が決まってからはみんなめちゃくちゃ頑張って、14点も取ったんですよ。
小塩:それは凄い!
益子:それを見ていた監督さんは私に「俺は益子直美さんみたいにはなれねーから」ってぼやいていましたけど(笑)。結局、そのチームは大会で「チャレンジしたで賞」という賞を取りました。授賞式のコメントで代表の子が「プロの人に教えてもらったら、点数を取ることができました」と言ってくれたんですが、私は具体的な技術指導はしてないし、答えも与えていないんですよ。彼女たちは自分たちで決めて行動したんですね。それが成功体験となってくれたようで、すごく楽しかったと言ってもらえたんです。
小塩:それは子どもたちにとっても凄くいい体験でしたが、その監督さんが弱さをさらけ出す環境があったというのが良かったですね。益子さんのようなファシリテーターのような立場の方がいることで、指導者自身も変わっていけるような気がします。怒っている自分を認識することも重要ですし、頭ではわかっているけどどうしてもやってしまったっていう失敗をしたときに、なぜ怒ってしまったのか? どうしたら怒らないですむのかということを振り返る機会を作ることがまずは重要なので、そういう意味でも益子さんの活動はとても有意義ですね。
「怒る指導」は子どものその後の人生にまで影響する
――益子さんはなぜこうした活動を始められたのでしょうか?
益子:実は私自身がバレーボールをはじめた中学生の頃からずっと怒られっぱなしで、褒められたことがありませんでした。ぶたれて、怒鳴られて、苦しみを耐え抜くような毎日を過ごしてきたので、現役時代はやめることしか考えていませんでした。ところが、高校を卒業して社会人になったら、いきなり怒られなくなりました。でも、学生時代に監督から「あれをしろ」「こういうプレイをしろ」「こういう選手になれ」と全て与えられた通りにしかやってこなかったので、社会人になって突然「主体的に」とか「自主性を持ってやれ」と言われても、どうしていいか分からなかったんです。
やっと怒りの指導から解放されたのに、今度は何も残っていない自分に絶望して、どうすれば自主性や主体性が身に付くのかと苦しみました。気付いたら、せっかく青春を捧げてきたバレーボールが大嫌いになっていたんです。そんなの悲しいですよね。ですから子どもたちにはスポーツは楽しいと思ってほしいと、この大会をはじめたんです。
小塩:益子さんは著名人なので影響力の大きさもあります。それと同時に、怒られながらもトップアスリートになったのに、そのことに疑問を抱き、ちゃんと声をあげたということが非常に重要だと思います。それは教育の場でも意味のあることですし、アスリートのメンタルヘルスという分野においても、益子さんが声をあげてくれたことは、とても意味のあることなんじゃないでしょうか。
益子:でも私自身、そのことに気付いたのは50歳になる頃です。
――50歳になる頃に「怒る指導」に疑問を抱いたということですが、何かきっかけがあったのでしょうか?益子:2015年から大学のバレーボール部の監督をお引き受けしました。関東の6部リーグのチームでそれほど強くなかったので、ゼネラルマネージャーからはチームを強くしてくれということではなく、スポーツを通して人間性を学ばせてほしいと言われていました。ところが、基本的なことを教えただけでトントン拍子に3部リーグまであがっていったんです。そうしたら大学側も本気になっていったんですね。でも、私は監督や指導者としての認定試験の資格を持っていないし学んだこともなかったので、これ以上強くするためにどうしたらいいか分からなかった。そこで指導力のない私が使ったのが、怒りという手段でした。
その結果、選手達は短期間でみんな同じ方向を向くようになり、それなりに効果はありましたが、あんなに自分がされて嫌だったことをしている自己嫌悪を覚えるようになりました。さらにコートの中の選手たちが全く自分たちで考えなくなり、ベンチにいる私の様子をチラチラとうかがうようになったんです。これまでは自分たちで話し合ってやっていたのに、私が恐怖心を与えているからだ。これで良かったのか? という自問自答がストレスとなっていきました。大学は千葉にあったので、通勤にはアクアラインを使っていたんですが、地下に入ると脈が上がり苦しくなって、海ほたるで休んで、結局引き返すといった日々が続き、アクアラインを渡れなくなりました。その矢先に心房細動の発作が起きて手術をすることになり、監督を辞任させていただいたんです。
小塩:そんなことがあったんですね。
益子:はい。その時に、自分を変えたいと思ったんです。なんであんなに大好きだったバレーボールが体を壊すほどのストレスになっちゃったんだろう。どうすれば呪縛から解き放たれるんだろうと思っていろいろと学びはじめました。
小塩:益子さんの体験は良くない顕著なケースかなと思います。怒るというのは恐怖を与えてルールに従わせるというアプローチですが、益子さんがおっしゃるように見せかけの効果が出やすい面があると思います。ただこれを子どもや指導を受ける側から見ると、「怒る人、指導者を怒らせない」ということが目的になってしまいます。「自分が恐怖をもう一回与えられないように、それを回避するために動く」ということになって、スポーツと関係なくなってしまっているんですよね。だから相手の顔色を窺うようになる。
怒りの指導を受け続けると、不安が強くなり不安症のようになる可能性はあると思います。さらに不安が強くなり人の顔色を窺うというのが習慣化すると、競技以外の社交の場でも、不安がどんどん強くなるという可能性があります。
怒る指導で失われる大切な4つのこと
益子:怒る指導で失われるものが4つあると思うんです。1つはチャレンジ精神。チャレンジしてもミスをすると怒られるから無難にしておこうと、チャレンジしなくなります。2つ目は主体性。与えられるばかりなので道なき道を自分で切り開いて進むということができなくなります。3つ目は学ぶ機会。人は生きていく上で何度も壁にぶつかりますが、それは学びの機会でもあると思うんです。壁にぶつかったときに、どうすればそれを乗り越えられるかを考えていろいろ学んでいく。ところが怒る指導は「ああしろ、こうしろ」と答えを与えてしまうので、全く学ぶ機会を与えられなくなる。言われた通りにやっておけばいいんだ、という風になるので自分で学ぶ機会が失われます。4つ目、これが一番大きいのですが、笑顔です。
【怒る指導によって失われるもの】
1.チャレンジ精神
2.主体性
3.学ぶ機会
4.笑顔
私はこの4つは怒る指導の副作用だと思っていて、自分自身にもこの副作用がありました。個人差もあると思うのですが、先ほど小塩さんがおっしゃったように、私にもスポーツ以外の場面で怒りの指導をうけたことによる副作用がありました。バレーボールを引退して芸能界に入ってから、コメンテーターの仕事を依頼されていたんですが、自分の意見が合っているのか間違っているのかという不安がすごく強くて、ずっとお断りしていたんです。でも、いろいろなことを学び始めてから自己肯定感というかちょっと自信がついてきて、ようやくお引き受けできるようになりました。
小塩:思春期というのは社会関係が広がり、自己形成にとって大事な時期なので、その時期に壮絶な体験をしてしまうと、その影響が後々まで続いてしまう場合がありますよね。益子さんの場合は体を壊してしまいましたが、そこから新たに価値観の変容が起きたことで、今は多分すごいパワーを見出しているんだと思います。しかし思春期の時期にそういうことがあると、人生をずっとその価値観のまま過ごしてしまう可能性があるので、この時期の指導はとても重要だと言えます。
前編では、怒りによる指導は、子どもたちがスポーツを嫌いになるだけでなく、チャレンジ精神や主体性などの生きていく上で大切なものを奪ってしまうといった弊害について知ることができた。後編では、子どもたちのためになる本当の厳しい指導とは何か、怒らない指導をするにはどうしたらいいかについて、お二人にお話を伺う。
PROFILE 益子直美
1966年東京生まれ。中学からバレーボールをはじめ、中学、高校と全国区で活躍。高校卒業後は、イトーヨーカ堂へ入社し、社会人チームで活躍。1990年には、イトーヨーカドー日本リーグ初優勝へエースとして貢献した。高校3年の秋から、日本代表選手を務め、世界選手権やワールドカップへ出場。91年に現役引退後は、タレント、スポーツキャスターへ転身。2021年4月「「一般社団法人 監督が怒ってはいけない大会」の代表理事に就任。
http://masukonaomicup.com/
PROFILE 小塩靖崇
国立精神・神経医療研究センター 精神保健研究所 地域・司法精神医療研究部 研究員(教育学博士, 看護師保健師)。子ども・若者のメンタルヘルス教育を専門に研究。人々が健康かつ幸せに育つ社会を目指して、研究と実践の橋渡しに取り組んでいる。日本ラグビーフットボール選手会(JRPA)と共に進める、日本スポーツ界におけるメンタルヘルスケアのあり方を考えるための研究プロジェクト「よわいはつよい」の研究代表者。
https://yowatsuyo.com/
text by Kaori Hamanaka(Parasapo Lab)
写真提供:一般社団法人監督が怒ってはいけない大会