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バイアスロン
フォトグラファーが厳選! 北京冬季パラリンピックのベストショット
過去に類を見ない大会となった北京冬季パラリンピック。いつもとは違う現場でフォトグラファーは何を切り取ったのか。それぞれが選んだベストショットを紹介したい。
Nordic Skiing
撮影:長田 洋平
オリンピックからパラリンピックまで約1ヵ月間、北京のクローズドループ内で過ごした。
その中で最も心を揺さぶられたのがパラリンピックのウクライナ選手団だった。目の前で起きていることをしっかり残しておきたいという思いから、ウクライナ選手が表彰台で感極まる姿、平和を思ってウクライナ選手をたたえる他国の選手、選手団を拍手で包み込む観客をファインダー越しに追った。
戦時下で競技を行う複雑な心境の表われだったのだろう。競技初日の5日、バイアスロンで表彰台に上がった選手たちでさえ、その表情は硬かった。それでも、日を追うにつれて選手たちは少しずつ感情をあらわにしていったように感じた。
写真は3月11日、バイアスロン女子立位12.5km。イリナ・ブイ選手は、片手だけで反動を使いながらスキーを滑らせていくが、薄曇りの空がどこか選手の心情を映し出しているかのようにも見える。ブイ選手の躍動する姿とともに何かを感じてもらえたらとの思いで写真を選定した。
もちろん、日本選手の奮闘も印象に残った。クロスカントリースキーの川除大輝選手が金メダルを獲得した20kmクラシカルでは、青空を背景に滑走する姿を撮りたいと考えていた。しかし、時間差スタートにもかかわらず、川除選手が想像以上に速く、他の選手と重なってしまい、イメージ通りに撮ることができない。撮影位置を変え、金メダルの走りとして切り取ったのがこの一枚。パラリンピックでは障がいによる係数などもあり、競技中の順位がわからないこともしばしばあるが、この日は川除選手に情報を伝えるコーチの声と川除選手のスピード感で金メダル獲得を確信した。
1986年生まれ。スポーツ専門フォトグラファーチーム「アフロスポーツ」所属。2012年のロンドンパラリンピック以降、リオデジャネイロオリンピック、サッカーロシアW杯などスポーツ報道の現場を駆け回る。ライフワークとして、車いすバスケットボールのクラブチームを撮影している。
Alpine Skiing
撮影:薬師 洋行
北京パラリンピックではアルペンスキーを中心に撮影した。パラリンピック5回目の出場となる三澤拓選手は、左大腿部を切断していて右足一本で急斜面を滑降する。2015年3月に白馬で開催されたジャパンパラ競技大会から撮影を続けているが、片足での体力もさることながら、鍛えられたバランス感覚には毎回、感心させられる。
そもそも、右に、左にターンするアルペンスキーにおいて、一本足でバランスを保つのは容易ではない。一般のスキーでは、ターンする際、山の山頂側にある足に乗って(内倒する、という)転倒することが多々あるが、これを幅10cmほどの1本のスキーで2本足分の動きをしながら滑っているのが三澤選手。
かつてアルペンスキーで三冠王に輝いた名選手・丸山仁也氏も「三澤くんの滑りはとても真似できない!」と舌を巻いていたほどだ。
そして、視覚障がいカテゴリーのトップ争いも見ごたえがあった。
デビュー当時から撮影しているイタリアのジャコモ・ベルタニョッリ選手は、何しろ「健常者ではないの?」と思わせる素晴らしい滑りを見せてくれる。今大会で金2個を含む4個のメダルを獲得したが、滑降だけはメダルを獲得できず、6位に。写真は、その滑降のワンシーン。この一枚を撮影した直後、ガイドに対し「もっと速く行け、行け!」と叫んだ声が強く印象に残っている。
写真からもわかるように、ガイドと選手の接近ぶりは、お互いの信頼とテクニックがあってのもの。最近ガイドが替わったようだが、ガイドとの息がもっと合っていたらメダルに手が届いていたのではないだろうか。
そして、今大会、ベルタニョッリ選手のライバルとして、オーストリアからヨハンネス・アイグナーという16歳の新星が現れた。今後続くであろう2組のバトルから目が離せそうにもない。
1946年生まれ。1969年にアルペンスキーのW杯を初めて取材。その後、世界選手権など数多くの国際大会を取材。1972年の札幌オリンピックで公式カメラマンを務め、2018年平昌まで13度の冬季オリンピックを撮影した。スキー以外の撮影に、ラグビーW杯(2011年、2019年)、京都の祇園祭など。
edited by Asuka Senaga
key visual by Getty Images Sport